萎縮と過剰と豊かさと

 昨日まで3日間、県総体で山へ行っていた。昨年までは「派遣依頼」なる文書が届いて、山岳部のない水産高校から、いわば日雇い労働者として行っていたが、今年は正規雇用である。昨年までは女子隊係だったが、今年は男子隊。餌(表現不適切。すみません)をぶら下げないと日雇い労働者は来てくれないかも知れないが、正規雇用となれば餌はいらない、ということだろうと理解した(笑)。
 仙台あたりにいた人からは想像も出来ず、「いい天気でよかったね」と言われるのがオチだろうが、山はとにかく寒かった。フリースを着て、その上からレインウェアも着て、それでも寒い寒いとがちがち震えていた。10月10日前後、例年初雪が降るとか降らないとか言っている新人大会のコンディションとよく似ていた。
 初日の会場であるえぼしスキー場から仙台方面を見ると、よく晴れていて、海から牡鹿半島まで、驚くほど近くに見ていて美しかったのだが、一方、目を西に転ずると、山の稜線は不気味な雲に覆われ、ちぎれ雲が飛ぶように移動していて、厳しいコンディションが想像できた。そこから吹き下ろしてくる風もなかなか強烈。
 初日、風速が10〜15mはあるかと思われる状況下で、何人かの顧問と、「今日のテント設営審査は面白いぞ、上手い学校と下手な学校の差がはっきり出るはずだ」などと言っていたところ、審査員から、「今日は風が強くて危険なので、設営審査は行いません。生徒は無料休憩所内での宿泊とします。」というアナウンスがあった。え?それでいいの?この程度の風の中でテントも張れないようだと、逆に、危なくて山に行けないよ・・・と思った。
 2日目は、峩々温泉から名号峰、熊野岳、刈田岳、澄川スキー場というコースを予定していた。大会のメインとなる行動である。天気は初日と同じで、稜線では視界も効かず、相当強い風の吹くことが予想されていた。とは言え、山の天気は行ってみないと分からない。行ってみて、いよいよダメだとなったら引き返せばよいだけの話である。初日の夜にはそういう話だったのだが、夜が明けると、朝食の時間に、偉い人から「今日の稜線は気温が低く、風も強くて厳しいコンディションが予想されるので、自然園で引き返すことにします」という発表があった。
 実際、行ってみると、標高1400mくらいから上が雲の中で、寒くて風も強い。10:25に自然園に着いた時は、気温5℃、風速は初日のスキー場と同じ、10前後かと思われた。昼食のための30分あまりの停滞がつらい。とは言え、果たしてこれが行動不能な状態かと言えば、それほどとは思わない。確かに、標高1550mの自然園から熊野岳までは、まだ300mの標高差がある。気温は更に下がり、風速も増すだろう。それでも、「山というのはそういう場所さ」というレベルである。実際、60〜70歳と思われる方々30名ほどのパーティーが、頂上まで行ってきたと言って下りてきた。
 登山隊は安全確保のために肥大する一方だ。生徒参加者85人に対して、その行動を支える大人が56人もいる。参加校の顧問37人に加え、昨年までの私と同様の日雇い現職が3人、顧問OB(退職者)が6人、部員OBが6人、その他外部が4人である。うち、テントサイトの管理や通信の中継をする約10人を除く50人弱が、ごく普通の山道を歩くのに、AEDや熊スプレー、ザイルまで持ってぞろぞろと生徒について歩く。各自が自ら注意をすべきことに至るまで、発せられる注意もおびただしい。
 これは、萎縮する学校を象徴する姿であろう。もともと、シンプルな装備で単独による山登りをしていた私からすれば、驚くべき「過剰」だ。しかし、私としても批判は難しい。一度事故があれば、責任追及の声は非常に厳しく、しかも、世の中はあまりにも豊かだ。それを支えるだけの豊かさがあるからこそ過剰も発生するのである。逆に言えば、過剰を支えるだけの豊かさがありながらやらなかったとなれば、責任を免れることはできない。とすれば、やはり、ひ弱を招くのは豊かさだ、ということになるだろう。
 本当に直に自然を感じ、その中で自分を高めようと思っていたら、組織の中で活動していてはダメだ、ということである。自分の責任で、ひっそりと山に登る。生徒たちが、将来、自力でそんな山登りをするようになってくれればいいけど・・・。