ビルマ人と東大球場

 27日から東京へ行っていた。身内の一人がJICA(独立行政法人国際協力機構)に務めているのだが、28日にファミリー・デイという職場公開をする、一度子供たちに見せに来ないか?というので行ったのである。今年の夏休みは、部活に加えて、全国高等学校総合文化祭の補助員やら、教員免許更新講習といった余計なお仕事があって、非常に窮屈なのだが、27〜28は休みが取れそうだ、せっかく東京まで行くのだから、他にもいろいろ子供に見せておこうと思い、2泊3日となった。ただし、27は妻の仕事の都合で午後発。
 27日の夜は、我が敬愛するビルマ人Mさん(→参考記事1参考記事2)と久しぶりで会った。アウン・サン・スーチー率いるNLDが政権を取ってから、ビルマミャンマー)では一応民主化が進み、特に言論統制下はかなり緩和された。Mさんが入国も出来れば、それで捕まる心配もなくなった。そこで、Mさんは家族の一部が既にミャンマーに戻り、Mさん自身も年に2度くらいのペースで一時帰国するようになった。では、69歳にもなったMさんがなぜ帰国の決断を出来ずにいるのか?そんな話を聞いてみたいと思いながら連絡を取った。
 Mさんの奥さんやお孫さんも含めて、家族で夕食をとり、その後、コーヒーを片手に二人だけで話をした。民主化されたとは言っても、要所要所を軍人が手放さず、彼らに支えられた過激派仏教徒の動きもあって、NLDが自由に何かを出来る状況ではなく、むしろ権限は限られているのに、上手くいかない時は責任を取らされるという狡猾なシステムが機能していて、なかなか思い通りの改革は進まない。Mさん自身は、それでも自由が拡大した祖国において、世話になった日本との橋渡しが出来るような会社の設立を考えているが、一緒に行動しようとしていた人たちの動きが鈍いこともあって、なかなか作業が進まない。それで、帰国を決めかねている、ということだった。
 28日は、朝食後、JICAに行くまでに時間があったので、まずは東京大学に行った。私自身がその野球場を見てみたかったし、野球狂の息子もそれなら喜ぶかな、と思ったからである。私は、ベースボール・マガジン社編・刊『東京大学野球部 「赤門軍団」苦難と健闘の奇跡』(2015年)という本で、東大球場という場所について知り、登録有形文化財にも指定されているというこの球場を見てみたくなった。私はまったく世間的な意味での教育パパではなく、権威主義的な人間でもないつもりだが、野球をするために私立の甲子園常連校に進学するなどというのは、断じて認められない。私の感覚では、野球が本末の「本」になるというのはあってはならないこと、なのである。その点、東大というのは魅力的だ。野球で入学が出来ないのはもちろん、決して強くはないのに、入れ替え制のない東京六大学に所属して、神宮で野球が出来る。息子が本当に野球をするのなら東大だな、と思う。
 農学部地震研究所に隣接する東大球場は、案外粗末な建物で、文化財に指定される価値はよく分からなかったが、すばらしい所だった。東京都心なのに、まるで森の中にあるかのようなロケーション。美しく人工芝が貼られ、グランド状態は石巻市民球場と変わらない。
 8時過ぎに着いた時には、キャッチボール(遠投)をしていた。そこにいたのは50人くらいだろうか?東大野球部のホームページを見ると、80人くらいは名前が載っているから、もしかすると4年生が引退したのかも知れない。宣伝効果を求めて野球の上手な生徒を集めている私大に対して、入るだけでも大変な大学だから、東大だったらレギュラーになれる、というのはかなり甘いことが分かる。東大でも、この部内競争に勝ち抜いて試合に出るのは相当難しいことだと思われた。厳しい。
 息子はあまり喜ばないし、まだ時間があったので、安田講堂や赤門の方にも足を伸ばす。それらを背景に記念撮影をしている人たちのほとんどが、中国語を話していた。浅草などで、東京も外国人観光客が非常に多いことは知っていたが、東大も観光地化して、そこに来ているのが中国人、というのは驚きだった。(続く)