バッハ「マニフィカート」

 昨日はちょっとした用事で、東北歴史博物館へ行き、その後、古巣・仙台宗教音楽合唱団の創立50周年演奏会に行った(東北大学川内萩ホール)。
 曲はバッハのカンタータ第79番、シュッツの「音楽による葬送(ドイツ・レクイエム)」、そしてバッハの「マニフィカート」である。創立50周年を祝うということで、バッハ2曲は金管楽器付きの祝祭的な選曲。特に、私は大好きな「マニフィカート」を初めてライブで聴けると、大喜びで出かけて行った。
 「マニフィカート」は、バッハの時代から、クリスマスや復活祭に演奏されることが多かった。2001年の年末、私はスペインを旅行していたのだが、12月28日、コルドバのメスキータ(モスクを改造した教会)を訪ねた時、このバッハ「マニフィカート」第1曲が延々と流されていた。フランスやドイツなら、こんな静寂の壊し方は絶対にしないな、やっぱりスペインは田舎だ、との音楽とは無関係な感慨もあったが、一方で、「マニフィカート」は確かにクリスマスの祝祭音楽なのだ、という実感を得た点でも印象的だった。愛聴盤は例によってカール・リヒターミュンヘン・バッハだ。
 今回、演奏会のチラシを見て、「マニフィカート」の後に「挿入歌付き」と書いてあるのが気になった。私は「マニフィカート」の「挿入歌」というものを知らなかったのである。しかも、作品番号(BWV)がよく知った「243」ではなく、「243a」となっている。
 あわてて、手元の『名曲解説全集』(第21巻。音楽之友社、1981年)を開いてみると、意外にも番号が「242」である(???)。それでも、バッハが当初作った変ホ長調の稿には、クリスマスにふさわしい内容の挿入歌が4曲入っていたが、後にニ長調の第2稿が書かれた時に、挿入歌が削除されたことが分かった。礒山雅『バッハ=魂のエヴァンゲリスト』(東京書籍、1985年)巻末の「バッハ作品総覧」によれば、第1稿すなわち変ホ長調のものを「243a」とすることになっているらしい。会場でもらったプログラムによれば、確かにこれらの通りなのだが、昨日の演奏はニ長調の第2稿で、挿入歌はそれに合うように移調して演奏するという。つまり、第1稿=変ホ長調=243a=挿入歌付き、第2稿=ニ長調=243=挿入歌なしということになるのだが、昨日の演奏はまったくの折衷版で、チラシでは「243a」となっていた作品番号が、プログラムでは「243/243a」となっている。バルブ付きの、すなわち自然倍音だけではなく、どんな音でも出せる現代のトランペットを使った演奏なのに、なぜこの際完全に第1稿=変ホ長調で演奏しないのかはよく分からなかった。
 カンタータ第79番はまずまず。シュッツは、決して嫌いな作曲家ではないのだが、なにしろバッハより更に100年前の人(1585〜1672年)である。どうしても、曲ごとの特長というのがはっきりせず、似たり寄ったりの音楽に聞こえてしまう。
 そして、期待の「マニフィカート」。第1曲の合唱が始まった時には、少し期待外れだった。上品すぎるのである。リヒターでこの曲を知ったせいか、噴き出すような絶叫調を期待してしまうのだ。そういう演奏ではなかった。しかし、冒頭の曲想が再現される終曲の最後の部分はそれなりに力が入っていて、そこへ向けての高揚感というものは聴き応えがあった。
 挿入曲は、やはり耳慣れないものが入り込んできたな、という印象を受けた。決して不釣り合いな悪い曲ではないのだが、挿入曲がない状態で馴染んでしまっていると、いいとか悪いとか以前に、不自然なものとして意識されてしまうのだ。「いつもと違う」ということが直ちにマイナスである訳がない。しかし、である。虚心に作品に向き合うというのは難しいものである。
 名簿を見れば、私が知っているメンバーは既に5〜6人。終演後、団員たちはロビーに出てきたのだが、なんとなく気恥ずかしくて声をかけることも出来ず、人混みをすり抜けて帰って来てしまった。