ドラッカーの箴言

 高校野球甲子園大会が始まり、野球狂である愚息はテレビの前にへばりついている。愚息のテレビ中毒は一時的なものだからさほど文句を言ったりはしないが、なぜ公共放送たるNHKが、全てに優先して高校野球の全試合を中継することになっているのだろうか?と、私は少々不愉快だ。もっと他にやることあるだろ?
 子供には、「パパはどっちを応援する?」とよく聞かれる。特別思い入れのあるチームなんてない。あえて言えば、出来るだけ「野球度」の低そうなチームを応援する。野球が全てみたいな生活が、私は大嫌いだ。部活はあくまでも、学校生活で「従」「末」であるべきだと私は考えている。タテマエだけではいけない。ホンネで、である。その点で、たいていの場合、公立高校が私立高校よりも健全だと思うのだが、なにしろ今年は代表49校中たったの8校。10校を切ったのは初めてだ、と耳にした。豊かさに呆けた結果として、高校野球も甲子園レベルになると、ほとんどプロ化しているということだろう。各県代表のような顔をしていながら、野球留学ともいうべき他県出身者の多い学校が相当数ある、というのはずいぶん前から聞く話だ。そんな話に、私はいちいち白けて夢中になれない。

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 今月に入って、安倍改造内閣がスタートした。いかがわしげな話をチャラにするための内閣改造なのに、なぜか支持率が上昇を再開した。世の中の人々の気持ちが私には分からない。昨日、GDPがこの3ヶ月で4%上がったというニュースが流れた。GDPの上昇は6四半期(=1年半)連続だという。これでまた、脳天気な人々による安倍政権への支持は更に増えるだろう。憂鬱になる。これで朝鮮半島情勢が更に悪化すれば、政権にとって願ったりかなったりだろうな。
 今日の朝日新聞第4面「波聞風問」という記事が面白かった。編集委員・原直人氏が書いている。
 原氏はまず、経営学の始祖ピーター・ドラッカーの言葉を引く。

「正しい問題提起への間違った答えは修正がきく。間違った問題提起への正しい答えほど修正の難しいものはない。」

 その上で、日本で「間違った問題提起」がなされている例として、日銀の2%インフレ目標を指摘し、それがなぜ間違っているかという議論を展開している。例えば、「金利なき世界が銀行の事業モデルを破壊する」「日銀マネーで市場が官製化している」「おきて破りの国際買い支えが、政府の財政健全化への意欲をなえさせる」「政策の出口で想定されている国民負担額が膨張の一途をたどる」といった具合だ。当然だろう、と思う。
 この指摘は非常に正しいのだが、日銀の2%目標を言うのなら、政府が経済成長を永久に続けさせよう、それは可能だ、と考えていることの方が、はるかに根源的な「間違った問題提起」なのではないだろうか?そこに向けて無理と不条理とを重ねる。それが日本を、あるいは世界をどれほど大きな混乱へと導くことか?2%インフレ目標なんて、そのごく一部に過ぎない。
 原氏は、最後にもドラッカーの言葉を引く。
「ひとたび正しい問題提起を得るならば、解決は容易である。」
 そして原氏は、2%インフレ目標の撤回を求めるのだが、2%インフレ目標の撤回によって日本経済の様々な部分が健全化するとすれば、それは、2%インフレ目標がたいした問題ではないからだ。経済成長は永久に続かない、むしろ縮小させなければ環境や資源に関する問題が克服できない、といった場合、そこから先の「解決」は、とても「容易」には思われない。欲望を満たす=豊かになりたいという人間の本能に反することを、たくさんしなければならないからである。
 ドラッカーの言葉はなかなか鋭いが、あくまでもこの世を支配するような大枠に力を発揮することは出来ず、内部での各論についてのみ通用する命題である。教祖様には、もっと大きなスケールで考えて適切な助言をして欲しかった。