おしょろ丸(3)

 ところで、事前に詳細な日課表が届き、当日、受け付けでは結構大量のテキスト類が配られたりしたものの、どこを見ても、船がどこに行くのかということが書いていない。岸壁を離れ、いよいよ講義本番が始まるという直前に、私は思いあまって、通路にいた航海士に尋ねてみた。すると、「津軽海峡です。遠くには行きません。函館山の裏の辺りまでいって操船練習が終わったら、函館湾の入り口に戻って来て投錨します。明日も津軽海峡をどこまで行くか?・・・ですね。例年、免許更新講習ではそんなものですよ。」という答えが返ってきた。昨日私は、「『おしょろ丸』に乗って、航海に出た」と書いたが、実際には「航海」というほどのものではない。航行してどこかに行くことが目的なのではなく、様々な講義・実習が目的で、そのために必要な場所に船を動かすというだけなのだから、まあ、仕方がない。2日目、漂流ビンを流すために、津軽海流の本流まで行かなければならないということで、津軽海峡の3分の1くらいの所まで行ったのが、陸から最も離れた瞬間であった。
 おしょろ丸は1600トン。一応トロール船としての設備を持っていて、登録上は漁船である。まだ完成して3年が経ったばかりの新しい船だ。信じられないほど快適。何と言っても、「新青丸」(→見学記事)と同じく、エンジンの振動が徹底的に吸収され、封じ込められていて、非常に静かなのだ。私が乗った3日間、遠洋に出たわけでもなく、うねりが大きかったわけでもないので、どれほど効果が発揮されていたのかは分からないが、大きな船でもないのに、減揺タンク(タンク内の水を動かすことでバランスを取り、船の揺れを抑える装置)とフィンスタビライザー(揺れを抑えるための自動制御の翼)を備えていて、ほとんど揺れない。エンジン音が聞こえないので、動き始める時は気が付かないほどスムーズだ。
 新青丸を見に行った時には、調査に音響機器を使うことが多いので、音や振動は封じ込める必要があるみたいな話を聞いた記憶がある。その時私は、なぜ漁船は音も振動も激しいのに魚群探知機(ソナー)を使えるのかな?あれだけ騒々しくてソナーが使えるなら、エンジン音なんて問題にならないのではあるまいか?と疑問を感じていた。
 今回、改めて、なぜこれほど音を抑え込む必要があるのか尋ねてみると、新青丸の時以上にすっきりしない回答が返って来た。しかし、その1〜2時間後、私は分かったような気になったのである。
 プランクトンを顕微鏡で観察した。倍率はたったの20倍である。それでも、船の振動が20倍になる。すると、それまで非常に静かな船だと感心していたのに、実はそれなりに振動しているのだ、ということが分かってくる。これが、宮城丸だったら、顕微鏡を使うことそのものが出来ないだろう。観察対象を視野に入れることも留めておくことも難しいはずだ。この船の静かな環境は、音響機器の問題以上に、ミクロの世界を調べる時の必要性から作られているのに違いない、と確信した。船には馴染みのない人も乗る機会が多いから、生活の快適さに対するこだわりも、他の船よりは強いだろう。
 航行速度は12.5ノットだから、決して速くはない。普通の漁船並みである。ただし、電気推進だ。機関室に入ると、プロペラ用の発電エンジンが3台あり、常時その2台を動かして2つのモーターを回し、その動力を集めて1本のシャフトを回している。新青丸のようなアジマススラスターは付いていない。ほぼ同じ大きさなのに、おしょろ丸の建造費は70億円で、新青丸より40億円余り安い。建造の時期は同じだ。この違いはアジマススラスター、調査機器の性能、操舵室の機器類の質の違いだ、というのは素人の私にも見ていて見当がついた。正しいという保証はないけど。
 私が割り当てられた船室は、6人部屋だった(4人で使用)。2段ベッドが3つある。明るくきれいで、土足禁止。床は絨毯敷きだ。中央の通路のようなスペースは、幅が宮城丸の生徒居室の倍くらいあって、ゆったりしている。風呂は3人用(がいくつかある)。当然ながら、船の中は男社会、という前提なんてない。航海士にも女性がいたし、入れ替わり立ち替わり乗り込んでくる研究者にも、私たちのような研修生にも女性が含まれる。トイレも風呂も当然男女別で、女性用の数も十分だ。
 快適で、教員講習の受講者も、「少年自然の家レベル、海の上にいることを感じさせない」、更には「ホテルみたいだ」と言う人がいたりしたが、この快適さは、最新の機器やスペースの使い方だけの問題ではなく、その湯水のようなエネルギー消費に支えられている。電力は全て船内の発電機で供給されているが、節電などということが意識されている風はない。電気は本当に惜しみなく使われている。聞けば、停泊時すなわち生活用発電機だけを動かしている状態で、1日に消費する重油は1キロ=1,000リットル。12ノット航行をしていると10キロ=10,000リットル=ドラム缶50本である。恐ろしいような数字だ。快適だ、豊かだということは、結局こういうことなんだよな。 (続く)