「豊かさ」のなれの果て

 台風一過、少し風は残っているが、気持ちのよい夏晴れの一日となった。我が家から見える太平洋は、夕方の時点でもまだ相当に荒れている。大きな波が波消しブロックにぶち当たっては豪快な波しぶきを上げる様子が、なんだか見ていて気持ちがいい。

 さて、1ヶ月近くも前の話になるが、8月28日、NHKクローズアップ現代高校野球の“怪物”たち 最多本塁打はなぜ」を見た。息子が新聞で目を付けてどうしても見たいというものだから、いわば「お付き合い」である。
 最近の高校野球の方向性について、いろいろと面白い分析があったのも確かだが、番組の中で印象に残ったのは、東海大菅生高校の話である。長打力を伸ばすため、下半身の強化に取り組む。週のうち1日は筋力トレーニングだけの日がある。生徒はほとんど(全員?)が寮生活で、尻まわりを100センチ以上にするため、夕食では主食を1キロ以上食べることが義務づけられているらしい。てんこ盛りのどんぶり飯の横に、大量のパスタを載せた皿が置いてある映像は、私には衝撃的だった。
 もちろん、このブログを長く読んでくれている方には、それが「感心」ではないことがお分かりであろう。無駄な「豊かさ」のなれの果て、という感じがする。
 文明の利器・インターネットで少し調べてみると、東海大菅生の部員数は136名。監督は元プロ野球選手。全部員の出身地は調べられなかったが、今夏の甲子園でベンチ入りした選手に限ってみると、東京2、神奈川5、愛知6、千葉2、宮城2、埼玉1だったらしいから、言わずと知れた野球留学の対象となる学校らしい。学校は東京都あきる野市で、甲子園予選では決勝でかの早実を破ったわけだから、予戦区でいうと、西東京である。それでいて、東京都出身は2名。典型的な「野球度」(→こちら)の高い学校だ。
 そうこうしているうちに、9月12日の毎日新聞高校野球新世紀」という連載第2部第1回で、野球に打ち込むことがどれほど家庭の負担になるか、という記事が出た。

兵庫県内の中学の硬式野球の強豪チームでは、そろいのTシャツを着た保護者たちが、選手の補食や指導者の昼食を作るなど「当番」に従事。栄養学のテストまで課される。ある母親は「当番の日は足が棒になる」と笑う。バスの運転免許を取得し、送迎を担当する父親は「休みの日はありませんよ」。」

「強豪チームの保護者たちは「特待生で強豪へ行ってほしい」「野球で有名大学や一流企業に入れるようになるかも」と真剣な表情で話す。」・・・

 よく、高校の部活動でも「過熱」ということが問題になる。部活動が「勝利至上主義」の批判を受けるというのもよくある話だ。だが、その意味は決して分かりやすくない。どこからが「過」なのか、基準を作るのは難しいのである。
 あえて言うと、日頃、部活とかスポーツにある種冷たい目を向けている私にとって、「過熱」とは、子供たちが自力で出来ないことを、大人が力を費やすことでやらせてしまっている状態、意識においても時間においても、勉学との本末が転倒している状態、であると思っている。よりいっそう重要なのは前者だ。毎日新聞の記事(上の引用一つ目)がその典型である。勝利のためには手段を選ばない。それが「過」でもある。
 もちろん、そうでもしなければ甲子園に出る、プロに入る、野球歴を利用して有名大学や企業に入る、といったことは実現しないのだろう。だが、そこには、第1次産業が衰退して、第3次産業が隆盛するのと同じ意味での倒錯がある。
 食べることを抜きにして命はなく、人間は昔から食べることに苦労してきたのに、食べられることが当たり前の世の中になって、生きる目標を見出すことが難しくなった。しかも、その「食べられることが当たり前」は、単に資源の消費によって実現しているのであって、人間本来の力や知恵によって実現しているのではない。そんな中で、スポーツという非常に分かりやすい興奮発生装置に人の目が向く。虚構の価値は、疑うことを知らない精神によって肥大し、世の中の全ての価値観を狂わせていく。
 同時に、猛暑日は増え、ゲリラ豪雨が頻発し、台風は巨大化する。