石炭火力発電所をなくすために

 先週の水曜日、某所で多賀城市在住の知人に会って近況を述べ合ったりしていたところ、仙台・石炭火力発電所(仙台パワーステーション=仙台PS)の運転差し止め訴訟の原告団の一人として、仙台地方裁判所に行ってきた、と言う。仙台港付近には、現在112,000kwの石炭火力発電所が建設されていて、既に6月から試運転に入っており、10月1日から営業運転を始める(た?)。PM2.5の排出を始め、周辺の生活環境への影響が懸念される上、環境アセスメント実施基準をほんのわずかに下回る出力の施設を作ること、首都圏で消費される電力を被災地で作ることなど、いろいろと気にくわない問題があって、あえて提訴に踏み切ったのだという。原告団に参加している人は124人にも上るらしい。
 そうそう、同じような話は石巻にもある。日本製紙石巻工場の南側に石巻雲雀野発電所という石炭・バイオマス混焼の発電所(14.9万kw)がほぼ完成、西側には木質バイオマス発電所(7.5万kw)の建設が計画されている。いつの間にか、あれよあれよ・・・という感じだ。
 もちろん、これは由々しきことである。私が最も心配している地球温暖化との関係だ。どう考えても時代錯誤、パリ協定に参加している国で許されることとは思えない。10月1日の朝日新聞日曜版「GLOBE」では、「Re:search(歩く・考える)」欄で、石炭消費問題を取り上げていたが、世界中が石炭の消費量を減らしている中で、日本だけが増やしていることを指摘している。その記事によれば、同じ熱量を得るために出す二酸化炭素排出量を比べると、石炭が10の時、石油は7.5、天然ガスは5.5である。環境負荷は非常に大きい。目先の利益にとらわれて、石炭を燃やしていい状況ではないのである。
 今からでも原告団に入れないのかな?と思う一方で、仙台よりも石巻だな。石巻で反対運動が起こっているような話は聞いたことがないな。これは歴史に対して責任が取れないまずい状況だぞ。なんとかせねば・・・。と、今のところ気分の上だけでじたばたしている。
 私はその点で、これまたやや遅きに失しているとは言え、原告団の一人となって仙台PSと闘う某氏に畏敬の念を感じたのだが、一方で、原発や石炭火力発電所に反対の意思表示をしている人たちが、それと同じだけのエネルギーを費やして、この過剰な消費社会を批判し、電力使用量の減少を訴えないのが不満だ。電力消費量が減れば、発電所を作ろうなどという話も出てくるわけがない。
 人類が生き延びるためには、パリ協定を遵守し、2050年までに温暖化ガスの排出量を4〜7割減、今世紀末までにゼロ以下にする必要がある。しかし、ヨーロッパでも中国でも、ガソリンエンジン車の廃止までは言っているが、それが電気自動車の普及を意味するとすれば欺瞞である。環境を汚すことなく電気を作る技術が確立する見込みはない。自然エネルギーだって、それを作るための施設は大量の石油を消費して作るしかないのである。
 とにかく、虫のいいことを考えていれば、人類は生き延びられない。大切なのは、石炭か太陽光か風力か原子力か?というような選択ではなく、消費そのものを減らすことだ。私の目から見ていても、今の消費はあまりにも過剰だ。それは楽で便利がいいという人間の欲望に沿ったものであるが、それ以上に、経済成長を至上価値とすることからくる倒錯であろう。
 相次ぐ石炭火力発電所の建設・運転は由々しき問題である。環境を守るために、今からでも出来ることはしなければならない。だが、同時に、エネルギー消費を減らすことにこそ力を尽くさねば、と思う。