石巻の小さなコミュニティの物語

 寒い。家族の強い要望で、昨日、我が家でもついにストーブを点けた。

 さて、今日の午後は、映画を見に行った。映画館ではなく、三陸河北新報社のビルである。青池憲司監督「まだ見ぬまちへ−石巻・小さなコミュニティの物語」。先月28日に監督から、映画が完成した、11月18日に石巻で特別披露上映会というものをする、来てくれるなら席を用意しておく、というようなメールをいただいた。私は喜んで参上する旨返信をした。
 青池監督とは、震災の年の秋からの細々としたお付き合いである。監督が震災後の石巻で最初に撮った映画の予告編(?)を見てこのブログでこき下ろし(→その時の記事)、それを青池監督に届けた直後、我が娘の作文朗読を撮りたいとおっしゃって、我が家で撮影をした時が直接お話をした最初であった(→その時の記事)。私の辛辣な批評にも動じず、ニコニコといろいろな話をしてくれた。懐の深い人だな、と感心した。その後、何かの場面で顔を合わせるたびに、挨拶程度ではあるが会話をし、昨年3月には2時間にわたって、監督による私へのインタビューの撮影もした(→その時の記事)。
 青池監督は、社会派映画の監督として高名な方らしい。特に阪神大震災の時の記録映画を撮った実績から、東日本大震災でも記録映画をぜひ青池さんに撮って欲しいという声が出、ご本人も積極的な姿勢を見せて石巻通いが始まった、と聞いている。津波で浸水した上、火事で燃え、学区内が壊滅した門脇小学校を主題として2本の映画を完成させた後、視点を地域社会に移し、この3年半は門脇町の住民を撮り続けてきた。その映画が完成したのである。チラシには、「被災直後から寄り合って暮らしはじめた23世帯60人の人々が「新しいコミュニティ」をつくりだすプロセスを描く」と見出しが書かれている。
 席を用意しておいてくれることにはなっていたが、混むだろうし、早めに行った方が無難だな、と思ったので、開演20分前に会場に行った。意外にもたいした入りではなく、60名収容の会議室のような部屋に、15人か20人くらいしかいない。開演までに多少は増えたが、それでも半分強の入りだっただろうか。
 映画に先立ち、監督、門脇町内会長、「いしのまき記録映画づくりを応援する会」会長による挨拶と、早稲田大学教授・元日本建築学会長である某氏によるトークが45分にわたってあり、その後いよいよ映画、となった。2時間25分という長編映画である。
 震災後、かろうじて被災しなかった数軒の住人の話から始まる。その後、映画は郊外の仮設住宅に住む人々、昔の門脇町の様子(住民提供のスチール写真)、復旧工事の状況などを映しながら、門脇町のコミュニティが大きく成長して行く様を描き、門脇町内会が、新たに完成した災害公営住宅の管理会を取り込んで、大きな人間の和が出来上がったところで終わる。約2時間半、夢中になって見た、というほどではないにしても、さほど長さを感じることはなかった。それなりによく出来ていた、ということだろう。
 会場に来ていた人には、映画の登場人物だけでなく、門脇町と何かしら縁のある人が多かったようで、映画の上映中、「あらぁ、○○さんだっちゃ」「まぁ懐かしいこだ」といった会話やつぶやきがよく聞こえた。確かに、門脇町という場所が身近な人は、そのような見方をし、それで楽しいのだろう。しかし、この映画がそのような見方しか出来ない作品であれば、普遍性は獲得できない。かく言う私自身も、どうしても自分自身の脳裏に残る震災前の門脇の状況から自由になれない。それと映像とを重ね合わせながらしか、映画を見ることができないのである。今後、映画は全国の主要都市で上映会を行うらしい。そこで映画を見た人々が、どのような反応を示し、どのような感想を抱くのか、それが気になった。
 閉会後、私が青池監督にお礼を述べると、監督は、テーマとの関係で私のインタビュー映像を使えなかったことについて申し訳ないと頭を下げ、映像は大切にしているので、またテーマの違う映画を作る中でそれを使うことが自分にとっての「宿題」だ、と言う。私は、私の映像などいざこざの原因にしかならないので使う必要はないが、次はぜひ、大規模土木工事といった震災復旧の「負」の部分を追及した作品を作ってください、とお願いした。
 確かに、映画に描かれた門脇町コミュニティ再生の物語は感動的だ。しかし、登場してくるのは、これでもかこれでもかというほどの高齢者ばかりだ。我が家から見える整備された住宅地には、後から後から家が建つという風でもなく、いまだに空き地は多い。被災の責任はどこにあるのか?住民の満足と社会全体による経費負担のバランスをどう考えるのか?街や公園の整備と、自然環境保護との関係はどうなのか?・・・などなど、残念ながら、問題は映画の中ほど明快ではありえない。