志賀高原と二ッ森

 目下ダイエット中の私は、年末年始の到来を恐れていた。仙台市近郊にある実家に帰るのがよくない。飲み会が続くのがよくない。
 実家に戻ると女手があり、石巻にいると主夫に近い私も、なんとなくやることがなくなる。家が古く、暖房している居間だけしか暖かくないし、テレビが付いていたり、テーブルで子供たちが卓球をしていたりして落ち着かない。何か考え事をしようと思うと、調べるための本が手元にないので、結局何もできない。
 例年1月2日に行われている前々任校の部活OB会は欠席することにした。呑み会は3日限定。2日は新聞と年賀状の確認のためだけに、一度石巻に帰ることにした。実家では朝からずっと箱根駅伝の中継がついているので、元日以上に何もできない。
 なまる体を持てあまし、1日の午後は、少し遠出することにした。もちろんドライブなどではなく、ジョギングである。
 JR館腰駅に近い実家を1時に出て、「愛の杜」という団地を抜け、大塚山古墳の脇を通って愛島(めでしま)から中ノ沢に行く。ここから山道に入り、五社山(ごしゃざん295m)に登り、更にいくつかの小さなピークを越えて、名取市の最高峰・外山(そとやま314m)の頂上に立ち、そこから愛島台という新しい団地に下りた。少し気になったので、二ッ森という集落の様子を見に行き、再び愛島台に戻って、空港に向かう道路を真っ直ぐ東進し、館腰に戻った。2時間45分。
 小学校時代にまるまる1日かかる遠い所、と思っていた五社山は、さほど一生懸命走らなくても、今走れば往復2時間で行けることを知り、少し感動した。
 整備された登山道は、外山から更に西へと延びている。外山の次のピークが、村田町、岩沼市名取市の境にある三方塚山だというのは知っているが、そこから先、登山道がどのように延びているのかはよく知らない。そこから中井にある岩蔵寺というお寺、もしくは大師という昔温泉があった場所まで道がついていて、この一帯を「志賀高原」と言うのだ、というのは知っている。しかし、里山の常で、道というより「踏み跡」はあちらこちらにあって、きちんとしたハイキングマップのようなものも存在しないようだ。一度詳細に調査をしようと思いつつ、行けずにいる。昨日も、午前中からいけばできたのかも知れないが、日の短い時期、3時を過ぎてから山道探しをする気にはならなかった。生徒を連れて雪山に入るのが著しく困難なご時世(→参考)、こんな里山をあちらこちらで探検し、オリジナルの地図を作っていくのは活動として楽しいだろうな、と思う。おそらく、生徒は乗らないのだけれど・・・。
 愛島台の近くに二ッ森という集落がある。家が3〜4軒の小さな小さな集落だ。私が小・中学校時代は、中ノ沢経由の道しかなかった。里山の内懐とは言え、実際に行ってみると信じられないほど山奥である。標高も150mを越える。平家の落人伝説か何かがあると聞いたことがある。本当かどうかは知らないが、何の特別な事情もなく、あんなに隔絶された山奥に集落など存在するはずがない。中学校の同級生で、二ッ森から通っているやつがいた。今と違って、いかに通学困難な場所でも、親が子どもを学校に車で送り迎えなんかするわけがない。バイクで下の集落まで出てきて、そこから自転車に乗り換えて通っている、警察もそれを黙認している、という話を聞いたことがある。隔絶された場所にはロマンを感じる。
 10年あまり前に、二ッ森どうなったかなぁ、と突然気になって訪ねてみたところ、相変わらず家はあったが、近くにできた愛島台から道がつき、隔絶された落人部落といった感じはなくなってしまい驚いた。今回も、訪ねてみると家はあった。以前と比べて減ったかどうかは、以前の記憶が曖昧すぎて定かでない。
 住んでいる人にとって、愛島台と直結し、心細い山道を通らずに町に出られるようになったのはいいことなのだろう。まだ二ッ森という集落が存在することには、ある種の安心を感じる。一方で、二ッ森は隔絶されているからこそロマンであり得た。愛島台と直結し、ますます明るい感じになった二ッ森には、残念ながら謎めいた雰囲気も少なく、少し興醒めの感も漂う。複雑な気分であった。