寒中、長老の死を惜しむ

 今日も石巻は−7.8℃まで下がった。日中は+0.8℃まで上がり、4日連続の真冬日ということにはならなかったようだが、石巻らしくなく寒い。寒いおかげで、先週の火曜日に積もった雪もなかなか溶けず、いまだに雪景色が広がっている。
 我が家は、室内が約40坪あるのだが、暖房器具としては、FF式のファンヒーターが1台しかない。しかも、出来る限りエネルギー消費を少なくしたいという思想と、余計な音が嫌いという性格から、それを常に「微弱」(灯油1リットルで5時間)でしか運転しないことにしている。余計な音が嫌いというなら、ファンヒーターではなく、普通のストーブにすればいいではないかと言いたくなるだろう。私としてもそうしたいのは山々。音の問題だけでなく、冬場はストーブで煮炊きが出来るというのが理想なのである。ところが、断熱性重視、FPパネルというもので覆われた我が家は、機密性が非常に高いため、死にたくなければストーブは使うな、と建築業者から言われている。東日本大震災の時、停電して24時間換気もファンヒーターも使えない状況で、急遽、昔のストーブを持ち出してきたが、それで死にもしなければ、苦しくもならなかった。だから、おそらく大丈夫だろうな、とは思うものの、なんとなく気持ちがよくないので、やっぱりファンヒーターである。
 真冬に室温15℃を維持することは難しい。この数日は10〜13℃である。家族全員が、ファンヒーターの前に集まりがちなので、よく自虐的に自分たちのことを「一畳家族」などと言っている。それでも、衣類を多少工夫すれば、無理な我慢をしているというほどではない。いくら10℃でも11℃でも、家の中どこへ行っても同じような温度だというのはいい。実家に行くと、居間は18〜20℃あるのに、廊下に出た瞬間5℃くらいで、これはなかなかのストレスだ。
 滅多にしないことなのだが、この二晩、続けてストーブを終夜運転した。すると、一番下がった時で、11.2℃だった。外との温度差は約20℃である。40坪の室内が、1リットル5時間で、それだけの温度を維持できるというのはまずまず立派だ。
 24時間換気装置というのが付いている。法令で設置が義務づけられているらしい。手元にきちんとした仕様書がないのだが、確か、3〜4時間で室内の空気が全て入れ替わるくらいの能力があると聞いた気がする。しかし、どうしても変だ。室内温を維持するためには、吸い込んだ外気に相当量の熱量を加えなければならないのに、それだけの熱量を供給しているとはとても思えないのである。
 この装置は止めないという前提で設置されているので、スイッチというものがない。私は風呂に入る時、風がスースー寒いので、ブレーカーを使って止めている。この数日のように、特に冷え込みが厳しい時にも、時々私は止めてしまう。しかし、止めたからといって、室内温が上がったりしない。動いていても止まっていても、部屋の温度は変わらないのである。この理屈はどうしても分からない。昨晩は換気を止めたが、今朝の温度は運転していた一昨日よりむしろ下がった。
 ファンヒーターの力では、なかなか室温の上がらない我が家であるが、太陽が出てくると、室温はぐんぐん上がり、いとも簡単に15℃を超える。するとファンヒーターを止めるのだが、今日も16.7℃まで上がった。やっぱり偉大だなぁ、お日様。

別件
 昨日、野中広務氏が死んだ。92歳。なにしろ教育現場に日の丸・君が代を強制するために作られた法律(とどうしても私には見える)=国旗・国歌法制定時の内閣官房長官である。たまたま、ではない。野中氏の強い意向によって、国旗・国歌法は制定された。その上品とは言いかねる悪代官風の人相もあって、私は大嫌いな政治家の一人であった。
その印象は、時間が経つにつれて変化してくる。かつて古賀誠氏について書いた時(→こちら)に、野中氏も同様の存在として少し触れたが、現首相に代表される今の自民党の面々が、あまりにも節操なくデタラメであるがために、旧弊に見えた長老たちの気骨がひどく立派なものに思われるようになってきた、ということである。
 思えば、国旗・国歌法についても、それを制定してしまえば、教育現場での強制を正当化することになってしまうことは見えていたにせよ、野中氏は、政治家が教育に介入することについて非常に批判的だったのも確かだ。例えば、比較的最近では2012年3月17日、自由人権協会京都主催の講演会でも、野中氏は橋下大阪市長が条例で国旗・国歌を強制しようとしていることについて、「そもそも政治は教育に口を出すべきではありません。政治が教育を支配した戦時中の反省に基づき、「教育の独立」を保つために教育委員会があるのです。知事や市長が教育委員会に介入する資格はありません」と述べている(弁護士・宮本恵伸氏のブログより)。憲法第9条の改正反対派でもあった。
 今日の朝日新聞は、野中氏について著書のあるジャーナリスト・魚住昭氏の「野中氏の死去で、政治が弱者のためにあった時代が完全に終わった」とのコメントを載せる。これが、亡くなった人に対する形式的・儀礼的美辞に過ぎないことを切に願う。合掌。