再読『新・平家物語』・・・宿命について

 昨日、通勤の電車内で読み続けてきた吉川英治『新・平家物語』を読み終えた。ずっとこればかりを読んでいたわけではなく、時々、必要があって他の本を読んだりもしていたとはいえ、おそらく読み始めたのは昨年11月の上旬かと思うので、ほぼ丸々3ヶ月かかったということになる。この作品を読んだのは2度目である。1度目は、以前、仙台まで電車通勤していた時だった。その時、どれくらいの時間がかかったかは記憶にないが、まさか3ヶ月はかかっていないだろう。電車に乗っている時間が前回に比べて片道で15分短くなったということも、「3ヶ月」の原因のようだ。
 それにしても長大な作品である。私の持っているのは1971年六興出版刊の単行本12冊。各巻300ページあまり。今では目にする機会もなかなかない小さな活字で、上下2段に組まれている。以前、この作品の原稿を積み上げた様子を撮った写真について書いたことがある(→こちら)。その時にも触れたことだが、これだけの超大作を構成する力というのは想像を絶する。長いからといって弛緩しているとか、部分の寄せ集めだとかいうような印象を持つこともない。もちろん、だからこそ読み直す気になったわけだ。
 ずいぶん印象が違うな、と思った点もある。瀬戸内海における平家追討の場面と、義経の逃避行の場面が全体の大半を占めるかのように記憶していたが、それらの部分は驚くほど短かった。正に『平家物語』なのだ。全体を通して、ストーリーそれ自体よりも、作者が作品を通して訴えている思想のようなものが気になったのも今回だ。
 その思想とは、一つ目に、武士として生きることのつらさ、である。「つらさ」とは、もう少し具体的に言えば、人の命を奪うこと、不条理な命令に服さざるを得ないこと、それらをしなければ自分自身の命が奪われるということだ。その裏返しとして、誠実に平凡な生活をすることの美しさと幸せとが描かれる(→関連記事)。二つ目に、暴力は無限に連鎖する、ということである。暴力を無くすために暴力を使えば、それがまた次の暴力を誘発する。
 暴力の連鎖を断ち切ろうとした源義経は、自ら暴力によって問題解決をしようとはせず、最後にはほとんど無抵抗なまま、自分の地位(権力)を脅かしかねない存在として不安を感じた異母兄・源頼朝によって殺されてしまう。これもまた世の不条理。作者が、暴力の連鎖を断ち切るなどという理想は成就し得ないもの、と言っているようにも思うし、それでもなお暴力の連鎖を断ち切るにはそれ以外の道はなかったのだ、と言っているようにも思う。平家滅亡後、無実の罪によって兄から追い詰められていく義経の話は、あまりにも苦しく腹立たしく悲しい。
 暴力の連鎖の話が、テロや紛争の話が絶えない現代への批判を含むであろうこと、仮に作者が意識していなくても、私たちはそういう読み方をせざるを得ないということは、容易に想像がつく。だが、私はまた少し別のことも考えてみる。
 かつて何度か書いたとおり、我が家の南側には、東日本大震災による津波で全ての人家が流された40ヘクタールの門脇・南浜地区が広がっている。震災後、「雲雀野海岸」という呼び名のとおりのヒバリの楽園に戻り、更にはヒバリだけではない、様々な野生の命がその生を楽しむ場所となっていた。ところが、一度人間のテリトリーとしていたその場所が自然に奪い返されたことを許せない人間が、大きな公園を作ることで、自分たちの力を誇示しようということになった。それだけではない。どう考えても不要な巨大防潮堤や高盛り土道路、更には意味不明な道路の付け替えまで、復興工事というよりは経済政策によって、大きな土木工事がいつ果てるともなく続いているのである。
 我が家からそれらを見ながら、私はとてもつらい。資源を消費し、地球を汚し、他の生き物の生活圏を侵略して命を奪い、それらによって目先の幾ばくかの利益を得ようとあくせくする人間とは、いったい何なのか、といつも思う。近い将来、こんな生活は絶対に行き詰まるさ、いや、むしろ、人間よ早く滅びよ、という思いが常に湧き起こってくる。しかし、その一方で、そんな「人間」に守られている安穏とした自分の生活がある。もっと捨てようと思えば捨てられるものはたくさんあるはずなのに、なかなかそこまで出来ない。それはまるで、武士の宿命を嫌悪しながら、どうしてもそこから逃れられず、不条理に耐えてその地位に留まることで守られている人々と同じようだ。
 暴力は連鎖して止まない。義経はそんな武家社会から離脱しようとして、結局、暴力によって殺された。社会全体が欲望を満たすことこそ善と考える中で、その価値観を批判し、そこから離脱しようとしても、心情的にだけでなく、物理的にもそれは難しい。吉川が描く武家の宿命を背負ってあえいでいた平安・鎌倉の人たちと私の距離は、意外に近い。