天才少年とアルマーニ

 今日も寒い。加えて、石巻暴風警報が出ている。
 一流は大好きだが、オリンピックなど見ているとキリがなく、何もできないので、出来るだけテレビはつけないようにしている。しかし、家族は「羽生(はにゅう)、羽生」と騒々しく、今日の午後はテレビをつける。家の中どこでも音が筒抜けでプライバシーのない我が家は、テレビから避難することも出来ないので、結局気になって一緒に見てしまった。ちょっと悔しいけど泣けた。優勝したから、というのではなく、頑張ったな、という敬意混じりの感動である。
 一方、将棋の藤井5段(15歳)は、羽生(はぶ)に勝ち、午後の決勝戦にも勝って、朝日杯優勝と6段昇進とを決めた。公式戦優勝の最年少記録だ。そういえば、昨夜は仙台フィル定期演奏会に行ったのだが、リストのピアノ協奏曲第1番を弾いたのは、18歳の牛田智大。子供限定のものとは言え、5歳でコンクールに初優勝し、12歳でCDデビューした天才中の天才。指揮台に立っていた渡辺一正(51歳)だって、8歳でプロのオーケストラとピアノ協奏曲を弾いていた天才少年だ。
 みんなすごい才能だな、と関心もするし、なぜ才能というのはこれほど不公平なのか、と我が身を思って哀しくもなる。しかし、彼らは彼らでまた別な悩みやコンプレックスがあるかも知れないし、みんなが藤井や牛田や渡辺のようであっても世の中はつまらない、とも思う。私が一人の凡人として、天才たちの与えてくれるものを享受する。その幸せを噛みしめることにしよう。
 別件。
 「アルマーニ」が話題である。いうまでもなく、銀座にある小学校の制服、もとい、標準服の件だ。基本一式、すなわち上衣、半ズボン(スカート)、シャツ(ブラウス)で4万円あまり、これにセーター、帽子、セカンドバッグなどを加えると9万円前後となる。ただし、これはシャツ(ブラウス)1枚の場合である。シャツを1枚で済ませるわけにはいかないだろうから、少なくとも更に2枚買うと10000円以上必要(シャツやブラウスが1枚5000円以上する。今私が着ているのは2000円くらいなのに・・・)で、10万円ラインが見えてくる。しかも、小学生は成長が早く、在学中に2度は買い換えが必要となるだろう。
 銀座のど真ん中に近い、え?本当にそんなところに小学校あるの?と聞きたくなるような場所である。校長も、街のブランド性というものを相当意識していたようだ。
 私が最初に報道に接した時は、制服ではなく、あくまでも標準服、つまり強制ではないとのことだったので、気楽に「文句あったら買わなければいいじゃん、むしろそれが制服ではないことをはっきりさせるために、買うことを拒否すればいいのだ」と思った。しかし、色々な報道を見ながら時間が経ってくると、そう簡単に言える問題ではないと思うようになった。
 既に多くの人が言っているように、公立の義務教育学校であることを考えると、経済的な制約を受けず、給食費は仕方がないにしても、基本的に無料で通えなければならないだろう。今回のアルマーニが強制でないとなれば、何ら問題はない。しかし、多くの人が標準服を着て通うようになってしまうと、同質性を重んじる日本社会の中で、一部の着ない人は規則違反にも近い意識を持つことになってしまうだろう。また、お金持ちはアルマーニ、貧乏人は私服となり、親の経済格差が外見化されてしまうのも、平等意識を育んでいくために望ましいことではないかもしれない。私のように、強制でないことを確かめる意味で、お金の有無に関係なくあえて私服、などというへそ曲がりな人間はいいにしても、お金がないからアルマーニは買えない、という人間が疎外感を味わうというのはかわいそうでもあり、人間性をゆがめることにもなりそうだ。
 ファッションというのは、私が最も興味を持てない分野である。人間性とか教養とかがにじみ出ているのこそが人間の美であって、服装や化粧、アクセサリーで飾るのはただの外見的なごまかしだ、という意識があるのだと思う。そんな立場からすれば、銀座のブランド性をアピールするために高級標準服という発想は安っぽい。
 やっぱり、学校というのは勉強を始めとして、内面を磨くという作業を、地道に徹底的にやり抜くことを通して生まれてくる校風にこそ価値があるのだ。ブランド標準服の導入は、後から後から行われるパフォーマンス的な企画、特色づくりと同じこと。納入業者との関係もあって今更どうにもならないらしいが、やっぱり本当は止めるに限る。ところが、昨日の朝日新聞によれば、入学予定者60人中、既に48人が標準服を予約してお金も払ったそうである。抵抗する人がたくさん出てくればよかったのに、残念!!