理想の研究書・・・礒山雅氏を惜しむ

 先週土曜日の毎日新聞を裏から開いたら、礒山雅(いそやまただし)氏の訃報に目が止まった。71歳。え?まだ若いのに・・・。
 国立音楽大学招聘教授でバッハ研究の権威だ。私がこの人のことを知ったのがいつかは記憶にないが、1985年に『バッハ=魂のエヴァンゲリスト』(東京書籍)を読んで優れた人だと思った。1994年に出た『マタイ受難曲』という本(東京書籍)を読んで、その敬意は決定的に大きくなった。おそらく、出版されてからそう日にちが経っていないうちに買ったと思うので、遅くとも1995年のことだ。
 この本は、研究書として私の理想である(→この本についての過去記事)。私のような素人でも読める本であるにも関わらず、やはり「研究書」に分類するしかないだけの内容があり、何と言っても、この本を読むとバッハのマタイ受難曲を聴くという作業が、よりいっそう豊かになるのである。音楽之友社から出ているマタイ受難曲のミニチュアスコアを左手に、そして礒山氏の『マタイ受難曲』のページを右手でめくりながら、カール・リヒターが指揮したマタイの演奏(私のお気に入りは1969年の東京ライブ)を聴くということが、どれほど新鮮な発見と驚きに満ちた、心豊かな音楽体験であることか!やがてはそれも面倒になったとみえて、私の持つスコアには、礒山氏の指摘と見解とが随所に書き込まれている。スコアだけを手にしながら、礒山氏の解説に従ってマタイを聴くことが出来るというわけだ。
 研究書は難解であるのが当たり前だという風潮がある(かな?)。むしろ、難解であるほど書いてあることのレベルが高いと信じる人さえいるように思う。しかし、研究の対象を容易に理解し、深く豊かに味わえるようにすることこそが、研究ということの目的であるはずだ。マタイ受難曲を知らない人が、その研究を読みながら、ぜひ聴いてみたい、知っている人は感動が倍加した、と思えるようでなければいけない。礒山氏の『マタイ受難曲』は、正にそのような本である。
 礒山氏にはかつて「I教授の家」というホームページがあった。アクセス数が確か10万だったか増えるごとに、記念すべき○十万番目の入場者にサイン入りの著書を贈るという企画があって(手続きの詳細忘れた)、私の友人が奇跡的にその幸運に浴したことがあるため、印象に残っている。ところが、そのホームページが、ある日突然閉鎖されてしまった。閉鎖された時の記事で、何かのトラブルがあったことはうかがえたが、詳細はついに分からなかった。いまだに気になっている。
 新聞の訃報によれば、1月27日に雪の上で足を滑らせて転倒し、頭を打って、外傷性頭蓋内損傷を起こしたのが死因である。Wikipediaによると、昨秋完成したヨハネ受難曲に関する博士論文の口述試験を終え(高名な研究者がどうして今さら学位を取る必要があるのだろう?)、『マタイ受難曲』の改訂版とともに出版準備作業に取り掛かった矢先の死去だった、という。
 以前から私は、礒山氏のヨハネ研究が出ないかなぁ?と強い期待を持っていた。死をきっかけに、それが出ることを知ったのは確かに喜びなのだが、もちろん、死ななければ本が出ないというわけではない。作業がどこまで進んでいたかは知らないけれど、校正の段階でいろいろ手直ししたいことも出てくるだろうし、本人が著書を手に取れなかったということも含めて、いささか残念なタイミングの死だった。惜しい人が惜しい死に方をしたものだと思う。『ヨハネ』を楽しみにしつつ、ご冥福をお祈りする。合掌。