会社を辞めないために

 もう1ヶ月ほど前の話になるが、某有名受験・就職情報産業会社の方を講師に招いて、進路に関する有志向けの研修会を行った。「有志」とは言え、学年の7割近い生徒が参加した。

「進学した人のうち毎年8万人が退学し、高卒後の3年間で、就職した人の4割が離職します。なぜこういうことになるのでしょうか?離職の2大理由は、“仕事が自分に合わない”と“職場の人間関係”だと言われます。後者はともかく、前者は、自分が入る会社について事前によく調べていないからです。進学の場合にも同じ問題があります。だから、高校生は、自分の進路についてもっとしっかり調べなければなりません。」

 翌日、私はあるクラスに授業に行って、申し訳ないが、以下のような話をした。

「最近、進学でも就職でも、学生・社員がすぐに辞めてしまうということが問題になっていて、それについてよく言われるのは、事前の調べが足りない、ということです。昨日の研修会でも同じようなことを言っていたよね。
 しかし、それは違うな。事前にいくら調べたって、実際にやってみないと分からないということなんか山のようにある。むしろ、何もかも実際にやってみないと分からない、と言っていいくらいだ。調べれば調べるほど、現実が違っていた時にギャップに苦しむことにもなるかも知れない。みなさんだって、事前に予想していた塩釜高校と、実際に入学した塩釜高校が完全に一致していたという人がどれくらいいるかな?一致していないという人で、もっとよく調べれば一致したはずだ、と思える人いるかな?そんなことあるわけがないよね。だいたい、私の実感として辞職の最も重要な理由は人間関係だけど、会社に入ってどんな人間関係が待っているか、自分がどんな部署に配属されて、自分の同僚や上司がどんな人かなんて、いくら一生懸命事前に調べたって分かるわけがないよね。皆さんの中で、塩高に入れば、2年生になった時に国語の担当が平居先生になると思っていた人・・・いるわけないでしょ?私だって、まさか今年、塩高で皆さんに出会うなんて思っていなかったよ。就職した時どころか、去年の今頃でさえも、です。
 じゃあ、入ってから「失敗した!」と思わないためにどうしたらいいのか?入ってから「失敗した!」と思った時にどうしたらいいのか?私が思うのは、まず、入ってから失敗したと思わない方法はありません。だいたい、人間というのは必ず他人のやっていることの方が楽で楽しそうに見えるんだから、多かれ少なかれ後悔はするんです。じゃあ、失敗したと思わないための方法は本当にないのか?・・・あえて言えば、自分の責任で決めた、と覚悟することです。人の言いなりになって決めるよりもあきらめがつきます。
 入ってから失敗したと思った時に、まず大切なのは、我慢するということです。次に、その仕事なり学校なりのいいところを探そうと努めること、そして最後に、すっぱり諦めて辞めることです。これは、会社や学校よりも、結婚という人生選択をした時のことを思い浮かべると分かりやすいかもね。あ、これは、今、家の中で私がそういう問題に直面しているということではないから誤解しないでね。
 単純で面白くない、いや苦しい方法だけど、何をする時でも我慢は必要ですよ。相手のいいところを探すことも大切ですよ。だけど、どうしても自分に合わないと思った時には、ある瞬間に、すっぱり諦めて辞めることも必要ですよ。だけど、安易に辞めるのはダメだよ。我慢して乗り越えないと見えてこない面白さとかやり甲斐っていうのは絶対にあるからね。
 じゃあ、どうして、学校でも受験業界の人でも、事前学習の大切さをしつこく言うんだろう?
 ひとつは、何かしらの選択をするわけだから、選択肢について知っていなければ選べない、という当たり前の理由です。この点については、私も異論はない。その作業を通して大学や仕事について知るだけでなく、自分の気持ちを知り、意志を確かめていくことにも大切です。すると、失敗したと思った時の諦めもつきやすい。そしてもうひとつ、事前学習の必要性を訴え、高校生に頑張らせると、もうかる人がいるからですよ。私が言うみたいに、我慢するとか、いいところを探すというのは、入った後にだけ通用する話で、しかも本人の意識の問題ですね。受験業界のお世話になりようがないから、彼らはもうからない。事前のことならいろいろと作業を作り出して、それに価値を生み出せるし、価値を生み出せるっていうのはお金になる、っていうことだからね。
 もう一回言います。調べることは大切だけど、それをしっかりやれば入った後で問題が発生しない、なんて過信しちゃダメさ。そんなことより、進路は自分自身で決める、入った後は我慢する、いいところを探す、諦めるべき時には諦めて辞める・・・私はそれが大切だと思うよ。あ、例によって私の言うことは常に他の人と違うんだから、私の言ったことを素直に信じると、あんたたちが変人になっちゃうから気をつけてね・・・。」

 受験業界の方を悪く言っているようだが、学校の教員もよく似たもの。多忙、多忙と言いつつ、偽りの充実感を得るために仕事をわざわざ増やす人がたくさんいて、そんな人は過剰に生徒の世話を焼きたがり、そんな時には、必ず事前の調べをしっかりやれ、という話になる。私は天の邪鬼なので、常に人と言うことが違う。な〜に、事前に調べることの必要性なんて、しつこく言わなくたって分かるさ、彼らには「スマホ」という強い味方があるんだから、調べ方を学校で手取り足取り教えることもない。教員として一番大切なのは、「哲学」を持ち、それをきちんと語れること、余計な手出しをせず、彼ら自身に苦しませること。この手抜き風こそが、実は意外に難しいのだけれど・・・。
 生徒によっては困ったような顔をしながら聞き、生徒によってはニヤニヤ笑いながら聞き、生徒によっては納得したような顔で聞いている。ま、いいさ。私の言っていることの真偽は知らず、みんなが同じような話をするよりは、彼らの脳を活性化させる刺激になるはずだから、その点についてだけでも価値がある。