最後は「枯葉」

 後半はラヴェルラヴェルという作曲家は、特別に好きということもないが、「左手のためのピアノ協奏曲」と「ボレロ」だけで音楽史に名前を残すに値する、と思っている。それほど、これらの曲の斬新なアイデアと音を操る術のすごさは際立っている。
 2曲演奏されたワルツは、どちらも有名なものであるが、わざわざ意識しないと、私にはワルツに聞こえない。「ラ・ヴァルス」の盛り上がりはなかなかのものだが、それでも、ラヴェルヨハン・シュトラウスのファンであり、それにインスピレーションを得て作曲したワルツだと言うにはちょっと凝り過ぎなんじゃないの?という思いを止めることが出来ない。
 「ボレロ」は大いに盛り上がったが、これはあくまでも「ボレロ」という曲自体の力だ。私には「ボレロ」に指揮者が必要かどうかすら分からない。ヴェロもほとんど突っ立ったままで、せっせとオーケストラのコントロールをしていた、という感じではなかった。
 アンコールはまずシャブリエの「ハバネラ」。それが終わってステージから下がると、ヴェロはジャケットを脱ぎ、まるで矢沢永吉のようにバスタオルを首に掛けて再びステージに現れた。日本語で聴衆に向かって語りかけようとしたが、間もなくそれをコンサートマスターの神谷さんに任せた。神谷さんは、ヴェロの意を受けて多少のお話をした後、もう1曲、最後の最後のアンコール曲についての説明を始めた。「曲はイヴ・モンタンその他の人が歌って有名な「枯葉」。歌詞の内容は「出会いには、いつか必ず別れがあるのさ」というようなもの。ヴェロさんが歌います。」この瞬間、客席には「オ〜ッ!」という声にならないどよめきのようなものが広がった。それはそうだ。私も長く「聴衆」をやっているけど、指揮者が歌うなんて初めてだからね・・・。
 コントラバス奏者が一人、指揮台の横に出てきた。ヴィオラの首席奏者が譜面台を差し出す。1台のコントラバスの伴奏に合わせて、マイクを持ったヴェロが静かに静かに歌い始めた。まず最初に、フランス語の響きの自然な美しさに驚く。これまでも十分に分かっていたつもりだったが、確かにヴェロはフランス人なのだ、という驚きが新鮮だった。
 ヴェロの歌は静かに続く。歌うと言うよりも語りかけるように、多くは最弱音で、正に聞こえるか聞こえないかすれすれの所を行ったり来たりしながら、といった感じだ。マイクの音量調整が上手くできていないわけではない。ヴェロは意識的に呟いているのだ。なんとも親密で、真情に満ちた「歌」。指揮者というのは、「主将でエースで4番」といった存在だから、歌った時にも音楽的であるのは当然なのだが、決して声楽家ではない。ヴェロの歌も、プロのそれではなく、音にもやや不安定な箇所があったりはする。それでも人の心を動かす歌になっていたというのは、田舎の古老の歌う民謡が魅力的だというのと同じ理屈であろう。その曲想なり歌詞なりが、自分と不即不離のものになっているのだ。
 曲が静かに終わると、会場はスタンディング・オベーションとなった。私もこの「枯葉」はよかった。申し訳ないが、あの第300回定期のベルリオーズなんかより、この「枯葉」の方が魅力的だった。
 とは言え、ヴェロがその後も何度かステージに呼び出され、やがて会場が明るくなってオーケストラのメンバーが退席し始めると、拍手は一瞬にして収まってしまった。私は、誰もいなくなったステージにヴェロは呼び出されるのではないか?と、昔の朝比奈隆の「一般参賀」を思い浮かべていたのだが・・・。仙台フィルはヴェロに、楽団史上初めて「桂冠指揮者」の称号を贈り、聴衆は拍手でヴェロを称えているが、実は移り気な存在で、後任が来れば前任はすぐに忘れ去られる・・・そんなことを物語っているような気がした。