ホセ・アントニオ・アブレウとエル・システマ

 今朝、ウグイスが鳴いた。「ホーホケキョ」には至らず、「ケキョ」と一声鳴いただけだったのだが、間違いない、ウグイスの声だ。息子も、「あ、パパ、ウグイス鳴いたよ!!!!」と大騒ぎ。いいなぁ、この年中行事。
 そう言えば、昨晩、我が家の駐車場にカエルが大発生した。握り拳よりやや小さい程度の、大きな土色のカエルである。10匹くらいだろうか?20年以上同じ場所に住んでいて、初めてのことである。近くに池や湿地なんてない。今朝、出勤する時にはいなかったが、帰宅時にはやはり5匹くらいいた。いったい何を意味する現象なのだろうか?

 さて、兵庫旅行の続きを書くと予告しておきながら、突如別件とする。
 昨日、帰宅してから不在期間中の河北新報を読んでいたら、3月27日の国際面にホセ・アントニオ・アブレウの小さな訃報が載っているのが目に入った。知る人ぞ知る、ベネズエラの音楽教育システム「エル・システマ」の創始者である。その門下からは、昨年最年少でウィーンフィル「ニュー・イヤー・コンサート」の指揮台に立ったグスターヴォ・ドゥダメル(→を見に行ったときの話)が出たことでも有名だが、決して商業主義的な英才教育のための組織ではない。むしろ、貧困にあえぎ、心がすさんでいる多くの若者を覚醒させ、輝く人間へと生まれ変わらせるところにこそ「エル・システマ」の真骨頂がある。
 私はかつて、トリシア・タンストール『世界でいちばん貧しくて美しいオーケストラ ― エル・システマの奇跡』(原賀真紀子訳、東洋経済新報社、2013年)でこの人のことを知り、とてつもない大人物として感銘を受けた。本当にとてつもない大人物なのである。
 タンストールのこの本は、「エル・システマ」をあまりにも完璧なプロジェクトとして描きすぎているような気はするが、控えめに見て、正しいことが7割しか書かれていなかったとしても、その組織者は十分に尊敬に値する。それほど偉大なプロジェクトである。
 アブレウは1939年生まれ。64年に経済学で博士学位を取得したが、その一方、音楽大学で作曲とオルガンの学位を受けた。アメリカのミシガン大学で助手をしながら経済学での業績を重ねるとともに、70年代に入ると、ベネズエラ議会の最年少議員となり、学問と政治の世界で着々と地位を固めた。しかし、若者に門戸を閉ざしていたベネズエラの音楽界に問題意識を持ち、輝かしいキャリアを捨てて音楽活動と音楽教育に尽力するようになる。そうして生まれたのが、「エル・システマ」だ。
 アブレウは自分の音楽体験の原点を、少年時代、ドラリーサ・ヒメネス・デ・メディアのピアノ教室に通ったところに見出している。「厳しい教師についていたら、背後から睨まれて重圧を感じていたでしょう。ドラリーサ先生はそうではなく、私たちに音楽を通してコミュニティーの一員として生きることを実感させ、そこには喜びがあふれていることを教えてくれたのです。先生のところで教わったことが私の人生を決定づけました。」アブレウは「僕の持つDNAは、ドラリーサ先生にまで遡る」と言い、その写真を見ながら「システマはここから始まったのです」と語る。
 アブレウ自身(A)とドゥダメル(D)の言葉を思い付くままに本から拾ってみよう。アブレウの人となりや仕事の内容がおよそ分かるのではないか?

「社会を芸術に触れさせるという発想はやめて、芸術の中に社会を取り込む。一番つらい思いをしている弱者、すなわち子どもたち、そして他者から人として認められ、尊厳を保ちたいと願う人たちのために芸術を役立てるべきです。」(A)
「住むところや食べるものに不自由している状態だけが貧困ではない。孤独であるとか、他人に評価されないとか、精神的に満たされていない状態も貧困である。物質的に恵まれない子どもが、音楽を通して精神的な豊かさを手にしたとき、貧困が生む負の循環は断ち切られる。」(A)
「音楽を教えるとき、マエストロはいつも社会的な価値について教えようとします。音楽だけじゃない。愛について。」(D)
「相手の気持ちを思いやって手を差しのべるその器の大きさは、ほんとうにすごいと思います。だからマエストロは、みんなに愛されるのです。」(D)
「マエストロ・アブレウは、人は夢や憧れを抱いてもいいのだということ、そしてそれらはかなうということを、私たちに教えてくれる人です。」(D)

 産油国として一定の富はあるけれども、貧富の差が大きく、治安もよくない現実の中で、貧困層も含めた音楽教育を組織的に行うのは至難である。それを可能にしたのは、アブレウの持つ巨大なエネルギーであり、即断即決即行の能力、そしてドラリーサによって育まれたという音楽と人間に対する深い愛だ。だが、アブレウと同様にそれらの能力を持つ人はいても不思議ではないし、努力によって獲得できる部分もあるだろう。
 一方、タンストールはアブレウが名伯楽であったことを指摘する。「アブレウは人の潜在能力を探知できる並外れた目利きである。当の本人がまったく気づいていない才能を引き出すことも珍しくない。」音楽的能力についてだけではない。楽器製作・修理や組織マネジメントに至るまでのあらゆる能力についてだ。おそらくこの点が、アブレウをアブレウたらしめていた、他の人には真似のできない、同様の才能を持つ人を探し出すことが最も難しい美点だったのではないか、と思う。

ホセ・アントニオ・アブレウは革命家であり、ネルソン・マンデラに匹敵する。彼がこのシステムを築いたことで、多くの若者が音楽とともに生きるようになった。それほどたくさんの人の命を彼は救ったのだ。」(ベルリンフィル芸術監督 サイモン・ラトル

 「エル・システマ」とは「システム」の意味だ。だが、アブレウ自身が、「なにかをシステムとして定義したら、その日からその命は消えてしまう」と語る。おそらく、何事でも同様である。いかなるものも安住は許されない。絶えず何かに挑戦し、より高い価値へ向けて新しいアイデアを出し、変革の努力を続けていかなければ、物事はいともたやすく堕落や崩壊に向かってしまうものだ。アブレウという稀有の指導者を失った、しかも巨大化してしまった「エル・システマ」が、今後どのような道を歩むのか。精神を受け継ぐことは容易ではないし、まして伯楽の目についてはなおさらである。その行く末を気にしながら、改めてこの偉人に思いを致そう。合掌。