月面の懐中電灯・・・晝間輝夫氏を悼む

 今朝、新聞を開いたら、晝間輝夫氏の訃報が目に入った。どうも最近は訃報に触れることが多い。いや、触れたくなるような訃報が多い。
 先日のエル・システマと同じく、知る人ぞ知る超有名企業「浜松ホトニクス」の創業者である。朝日新聞は1段全てに近い大きな訃報だったが、見出しは「ノーベル賞「陰の功労者」」となっており、毎日新聞は「カミオカンデ貢献」となっていた。小柴昌俊氏や梶田隆章氏がノーベル物理学賞を受賞したのは、岐阜県にあるカミオカンデスーパーカミオカンデという巨大実験施設を使ってあげた成果によるが、その実験施設の核心となるのが、浜松ホトニクスが開発し提供した電子の眼「光電子増倍管」である。
 それの開発経緯は、浜松ホトニクスのホームページに「20インチ光電子増倍管開発ストーリー」という一読に値する文章が掲載されているので、それを読んでもらえるといい。それを読むと、確かに小柴昌俊という人の力はすごい。5億円もの予算を確保し、プロジェクトを立ち上げることそのものも余人の及ぶものではないが、陽子崩壊やニュートリノの検出には25インチの光電子増倍管が必要だと判断したことを始めとして、得体の知れない自分たちの目標物に向かって、どのような機器が必要かを判断していく能力には舌を巻く。
 だがしかし、である。いくら研究者が「こういう物が欲しい」と言っても、製作する側がそれを実現させなければ、絶対に成果は出せない。浜松ホトニクスが小柴氏から25インチの光電子増倍管開発を依頼された時、会社として開発に挑んでいた大口径光電子増倍管は8インチだったというから、最終的に25インチは実現せず、20インチとなりはしたものの、その飛躍は天文学的なレベルであった。
 カミオカンデの超純水タンクの中に取り付けられた光電子増倍管は、ニュートリノが水の分子と干渉することによって発せられるチェレンコフ光を検出する。というのは、いかにも一般向けの解説文によく見られる説明である。しかし、チェレンコフ光というのがどれくらいの明るさなのか、ということが分からなければ、光電子増倍管の威力は実感できない。
 宇宙観測機器の異常なまでの精密さや能力は、比喩によって語られた時に、そのすごさが実感できるようになる。例えば、スバル望遠鏡の鏡(口径8m)の精度は、平均誤差12nm(ナノメートル=10億分の1メートル)であるが、そう言われて納得する人はいない。ところが、「それを直径80㎞の円盤に拡大した時に紙1枚分の厚さの誤差」とか、「琵琶湖の7倍の面積の湖に最大で1㎜、平均で0.1㎜の波しかたっていない状態」とか言われると(ともに唐牛宏『宇宙の謎に迫る日本の大望遠鏡「すばる」』誠文堂新光社にある表現)、実感は伴わないまでも、突然その偉大さがひしひしと感じられてくるというものである。
 私が浜松ホトニクス光電子増倍管の威力に本当に感じ入ったのは、2015年2月3日付け毎日新聞「科学の森」欄で「月面から地球に向けて発した懐中電灯の光をとらえられるほど」という表現を目にした時だ。「想像を絶する」という表現がこれほどしっくりくる事例はなかなかない。
 浜松ホトニクスのホームページには、「学術プロジェクトへの貢献」というページがある。それを見ると、世界の宇宙物理学は全て浜松ホトニクスによって支えられているような気さえしてくる。ノーベル賞を受けるような偉大な科学者たちが、むしろ、浜松ホトニクスの手のひらの上で遊ばされているような感じだ。どうもこれは、当の会社が自分たちの業績を誇るために書いているから、というだけではないように思える。
 法隆寺を作ったのは聖徳太子ではなく大工さんだ。大阪城を作ったのも豊臣秀吉ではない。(スーパー)カミオカンデも同様だ。浜松ホトニクスだけではない。毎時60トンという大量の超純水を作るシステムを開発したのはオルガノという会社、わずか3〜4㎜の厚さのステンレスで、5万トンの水を溜めることが出来る水槽を作り上げたのは三井造船・・・。私たちは宇宙の謎が解き明かされる興奮と、ノーベル賞の喜びの背後に、このような会社とそこで働く人々がいることを敬意とともに意識しているべきだろう。
 そしてその中で、浜松ホトニクスの仕事というのは、最もデリケートで、最も他社に真似のしにくいものであったと感じる。晝間輝夫氏は、社長としてその会社を30年あまりにわたって率い、自らも製品開発に携わった。宇宙物理学の進歩とともに、その名を記憶されるべき偉人であると思う。91歳。合掌。