見える人には見えていた・・・MOTTAINAIの源流

 先日、南極観測隊の教員派遣プログラムというのに応募した顛末を書いた(→こちら)。その中で、私が南極に特別な興味関心を持つようになったきっかけは、初代南極越冬隊長・西堀栄三郎氏の著書『石橋を叩けば渡れない』であり、その本を読んで以来、私は西堀教徒になったということを書いた。
 確かに、以来40年以上、私は何かにつけて西堀氏の体験や考え方を思い出しながら、それを指針として生きてきたように思うのだが、それはほんのいくつかの基本的原則に過ぎず、氏の思想を詳細に理解し、身に付けていたというわけではない。読んだ本はと言えば、『石橋を叩けば渡れない』と『南極越冬記』だけ、やや遅れて『五分の虫にも一寸の魂』くらいであって、西堀哲学の全貌というものを意識したことはなかった。その結果、うかつにも『西堀栄三郎選集 全4巻』(悠々社、1991年)なる本が出ていることも知らずに来た。
 今回、南極についてあれこれ調べている最中、その本の存在に気付き、慌てて購入して読んでみた。そして、常識を超越した偉人であると改めて感銘を受けた。
 ご本人は、自分は10年ごとに違う分野で仕事をしてきた、と言う。その根っこにあるのは「探検家的精神だ」とも・・・。理学部化学科の卒業生で、京都大学助教授にまでなりながら、東芝に移って画期的な真空管の開発を成功させ、技術コンサルタントとして全国の工場を駆け巡り、南極越冬隊長を務め、それが終わると日本原子力研究所の理事、日本原子力船開発事業団理事として、原子力発電所原子力船「むつ」の開発に関わった。確かに、何が本当の専門か分からない。それでいて、どの分野でも一流の結果を残したのだから恐れ入る。また一方で、京都大学学士山岳会ヤルン・カン(カンチェンジュンガ西峰)登山隊長、日本山岳会会長としてチョモランマ登山隊総隊長なども務めた。ユニークな発想と柔軟性、目標に向かって進む時の推進力の強さは正に比類がない。その上、いかにも関西人らしいユーモアと、人を見る目の温かさ!
 選集を買った時、一番興味を持てそうになかったのが、工業技術コンサルタントとしての仕事についてまとめた第3巻である。ところが、通読してみると、結局いちばん面白かったのはその巻であった。どうして、何を作っているかに関係なくどんな工場でも問題を解決しますよ、などということが可能なのか?選集第3巻を読めば分かる、とまで言い切る自信はないが、読んでいて痛快なのは間違いない。とりあえずは第3巻の解説「西堀流品質管理」(唐津一・東海大学教授筆)を読むことをお勧めする。
 選集別巻所収の三村啓一氏の文章には、次のような話が見える。おそらくは1980年頃の話である。日米環境会議における座長としての西堀氏の発言だ。

「古来日本には“もったいない”という言葉がある。“もったいない”とは単に無駄を省くというとか節約するという意味だけではなく、もっと積極的な自然の恵みに対する畏敬の念がある。この概念が、これからの環境問題を解く鍵になる。」

 なるほど、自然に対する畏れの気持ちがないから無駄遣いが激しくなる。無駄遣いというのは、使い捨てのように、便利だ簡単だということによってだけ引き起こされる問題ではないのだな。また、上の引用の後の部分には、この時の通訳が「もったいない」を訳すことが出来ず、「もったいない」のままで通したことが書かれている。三村氏は、「もったいない」がやがて「MOTTAINAI」として英語の辞書に載る日が来るのではないか?との期待を示している。
 「もったいない」と言えば、ケニアの環境運動家でノーベル平和賞受賞者・ワンガリ・マータイ女史が思い浮かぶ。彼女は2005年に来日した際、「もったいない」という日本語を知って感銘を受け、「MOTTAINAI」を世界に広めようと運動を始めた。これは西堀氏が亡くなってから16年目のことである。果たして、西堀氏が「もったいない」に着目したことと、マータイ女史の運動との間に関係はないのだろうか?「MOTTAINAI」が既に英語の辞書に載ったかどうかは知らないが、西堀氏が「もったいない」という言葉=思想に価値を認めてから半世紀近くを経て、それは確かに国際語として認められつつあるのかも知れない。
 環境問題が深刻化することについての指摘も、それが1980年頃に為されていることに意味がある。
 「気候変動に関する政府間パネルIPCC)」が設立されたのは1988年、その第1次報告書が出たのは1990年である。日本人が温暖化問題に目を向け始めたのは、せいぜいこのあたりからではないだろうか?だから、日米環境会議(民間)が開かれ、海外で「2050年頃には〜」などという試算が行われていたとしても、おそらくその深刻な意味を理解していた人は少なかった。
 もちろん、西堀氏は科学者であるから、一般市民と同レベルで見るわけにはいかない。それでもやはり、温暖化を中心とする環境問題が深刻化することへの危惧と、それを乗り越えるための「もったいない」という思想の発見・・・私は西堀氏の先駆性と着眼点の確かさに舌を巻く。あぁ、分かる人には分かっていた、見える人には見えていたのだ。畑の違う様々な工場で問題点を見つけ出し、飛躍的な生産性の向上を実現させた目には、あらゆるものがよく見えていたのであろう。