日本丸とスマホの衰退(?)

 昨夜の雷雨から一転、今日は朝からいい天気だった。起きてリビングから外を見ると、何とびっくり、沖に帆船が停泊している。海王丸日本丸か知らないが、おそらくそれら海技教育機構練習船に違いない。だが、恒例の港湾感謝祭の時期でもあるまいし、石巻に帆船が入港するというニュースに接した記憶はない。もちろん帆は張っていないけれど、真っ青な海の上に白い帆船が浮かんでいるというのはいいものである。
 学校でふと思い出し、海技教育機構のHPで調べてみると、日本丸(約2600トン)が5月30日に室蘭を出港し、6月9日に東京に入港することになっている。途中の経路は書いていないが、これに違いない。そう言えば、宮水(前任校である宮城県水産高校)で就職係をしていた時、海技教育機構に司厨員として就職した生徒がいた。確か日本丸に配属されたはずだ。自宅も我が家の近所である。まだ辞めていなければ、私とは逆に、海の上から自宅のある方を眺めていることになる。少し不思議な感覚だ。
 日本丸は、夕方、私が帰宅した時にもまだ浮かんでいた。
 話は変わる。
 私は今週、おそらく10台くらいのスマホを教室で没収した。塩釜高校は昼休みと放課後以外の使用が禁止されていて、それ以外の時間に見つけたら預かることになっているのである。私は、別に職員室に居場所がないというわけではないのだが、教室で生徒をからかっている方が面白いので、いつも3〜5分早く教室に行く。それで、他の教員に比べるとスマホ類を見つけてしまう機会が多いのだ。幸い、塩高生の多くは素直に差し出すので、あまり面倒なトラブルにはならない。それでも、返せ、返せとうるさい生徒もまれに目にする。
 スマホを返せとうるさい生徒の言い分は、誰かと連絡を取らなくてはならないから、というものだ。一見、まともな言い分に見える。しかし大丈夫(←?!)。私が常に言うとおり、文明は間違いなく人間を堕落させるのである。彼らが必要とする「連絡」というのも、実はたいていの場合、堕落の結果なのだ。
 塩釜高校で使用が許されている昼休みにしても、本当は「部活で連絡が必要な場合」と条件がついている。私なんかは、そもそもなぜ昼休みに部活の連絡が必要なんだろう?と思う。その日の部活に関することなど、前日にきちんと決めて周知させておくのが当然だろう。緊急に必要となった連絡がそうそうあるとは思えない。
 高校生だけではなく、大人もである。予定をはっきりさせて、それに合わせて動くということが少なくなっている。例えば学校単位での宴会などはさすがにそうでもないが、仲間同士の呑み会だと、およその時間だけが決まっていて、後はスマホで連絡を取り合いながら集まるということがよくある。場合によっては場所さえ決まっていない。それでも最終的にみんなが集まれるのだから、そのやり方は便利だということなのだろう。私はそういう便利を「便利」とは思わない。「便利」のおかげで、行き当たりばったり。時間を管理・調整する能力は失われるばかりである。そう、スマホによる連絡が必要な状況というのは、まともに頭が機能していれば、そんな状況を作らなくても済む場面がほとんどなのである。言い方を変えれば、スマホを持っていることでバカになるから、連絡が必要になるだけなのだ。断じて、連絡が必要だからスマホを持つのではない。この前後関係を誤解してはいけない。加えて、携帯電話は人と人との間の垣根を低くし、それによって不要不急の情報のやりとりが増える(→参考記事)。私が言う「不要不急の情報」も、本人たちは「必要な連絡」のつもりだ。
 昨日、クラスで「スマートフォン等の情報端末に関する調査」というのを実施し、今日、集計をした。毎年必ずこの時期に県から下りてくる恒例の調査なのだが、集計はなかなか面倒な作業である。それでも、今年は少し明るい気分で集計作業をすることが出来た。
 私が副担任をしている40人のクラスで、なんと5人の生徒がスマホガラケーも持っていないと回答したのだ。これは、現在の高校としては異常に多いのではないだろうか。フィルタリングを利用している生徒も過半数に上る。無記名アンケートであることもあって、誰が持っていないのか、それはなぜなのか、というところまでは明らかに出来ていないけれども、我がクラスは私の影響を受けて(笑)、この最高に下らない高価なおもちゃを手放し、健全な生活を取り戻しつつあるのだな、と救いを感じた。
 とはいえ、スマホを持っている35人の生徒について言えば、およその平均で、1日に3時間前後をスマホの画面を見ながら過ごし、そのために毎月1万円近くのお金を払っている。敵はまだまだ優勢である。