意外なる熱狂!・・・仙台フィルの現代音楽

 昨夜は、仙台フィルの「『日本のオーケストラ音楽』展」という演奏会に行った。会場は青年文化センター。なにしろ、勤務先からは自宅と真逆の方向に電車を2本乗り継ぎ、小一時間かけて行かなければならない。しかも、終演後は最終の快速にも乗れず、1時間待って仙石線普通列車に乗ることになるので、帰宅は23時半を過ぎる。つらいなぁ、だけど現代音楽に真剣に向き合う機会なんてほとんどないし、何しろ私が尊崇する高関健がプロデュースと指揮だし・・・と、さんざん葛藤した末、当日朝になってから行くと決めた。
 当日券窓口で、オープン会員の割引を、と言おうとしたところで、会員権を自宅に置いて来たことに気づいた。名前を聞かれたので名乗ったところ、「あ、平居さんですね。河北新報の記事読ませていただきました。」(→その記事)と言われてびっくり仰天。「Tr,平居のブログ読んだことあります(読んでいます)」というのは、知らない人からもけっこうよく言われるのだが、新聞投稿で言われたのはおそらく初めてだ。仮に記事を読んで、共感したにしても憤ったにしても、普通は、知らない執筆者の名前までいちいち憶えていない。どんな感想を持ったのかなんて聞くこともなく、赤面して、逃げるように会場に入ってしまった。
 それはともかく・・・。
 仙台フィルは、他のオーケストラでも同様のことをしていると思うが、年に1度、日本の現代音楽作品だけを扱う演奏会を開いてきた。かつてのそれが、「日本の現代作曲家」と銘打って、「作曲家」に焦点を当てていたのに対して、今年からの企画は「曲」に焦点を当てるらしい。とは言え、例えばいま簡単にプログラムを見付けることが出来た1999年の演奏会では、西村朗、北爪道夫、外山雄三の作品が1曲ずつ取り上げられているから、そうなると今回との違いが何なのか、というのは分かりにくい。
 ひとつ大きく変わったことがある。それは演奏会に先立ち、別日程で、高関健氏によるトークイベントを開催したことだ。しかも、5月に5日間6会場でという気合いの入ったものである。演奏会には行かなくても、こちらは行きたいと思いつつ、時間のやりくりがつかなかったのだが、それでも、5月20日の最終回に執念で参加した。
 高関健という人は私が大好きな指揮者なので、このブログにもたびたび登場するのだが、学究肌で仕事が緻密・丁寧であり、カラヤンに仕込まれたオーケストラコントロールの技術も秀逸である。演奏会の冒頭で行われるプレ・トークを聞いていても、今回のトークイベントを聞いていても、そのお話には頭のいい人独特の分かりやすさがある。
 トーク・イベントは実質45分ほどの短いものだったが、その中で、藤倉大という人の「シークレット・フォレスト」という作品には興味を引かれた。高関氏は、わずかに10人集まった参加者に楽譜を見せながら、この曲の書かれ方の特徴を説明してくれたのだが、この説明がなかったら何が何やら分からない曲だろうな、と思わされた。では、説明を聞けば「分かった」かと言えば、音を耳にしていない以上、「分かったか分かっていないか分からない」としか言えない。昨日、無理をして会場に足を運んだ理由として、この曲への興味と、自分が高関氏の説明を聞いて「分かった」のかどうか確かめてみたいという思いがあったのは確かだろう。
 さて、肝心の演奏会では、芥川也寸志「弦楽のための3楽章(トリプティーク)」、藤倉大「シークレット・フォレスト」、矢代秋雄交響曲」が演奏された。前半と後半それぞれに、高関氏の短いレクチャーが付く。
 最初に書いてしまうと、すさまじい演奏会だった。仙台フィルの演奏会で、これほど熱気に満ちた、火の玉のような演奏を聴いたのはいつからぶりだろうか?まるでロシアのオーケストラのような強大な響きと凝縮された躍動感に圧倒された。それは、芥川の冒頭の1音から矢代の最後の和音までの全てである。残念ながら、高校生以下に大量の無料招待券をばらまいたにもかかわらず、客席はせいぜい4割くらいしか埋まっていなかったが、聴衆の反応も非常によかった。演奏者も空席の多い寂しさなんて全然感じていなかったのではあるまいか。楽員にとって、音楽に夢中になる喜びとともに、余韻の気持ちよい演奏会だったに違いない。
 演奏だけではなく、曲の問題もあった。芥川と矢代の作品は、メロディー、リズム、ハーモニーという、いわゆる西洋音楽の三要素が基本的にそろっていて、現代音楽ということを意識しなくても十分に聴ける親しみやすい作品である。
 さて、問題は、前半2曲目として演奏された藤倉大である。ステージには指揮者と数名の弦楽器奏者だけがいる。そして会場の端っこ6箇所に管楽器、前の方の中央に主役らしいファゴット奏者が立つ。会場の周縁から聞こえてくる楽器の響きが森を作り、ファゴットがその中を行く人をイメージしているらしい(プログラム掲載の作曲者自身による解説)。
 5月20日にトーク・イベントで想像した曲のイメージとはまったく違っていた。もっと弦楽器が単調にリズムを刻み続けるのかと思っていたが、さほどでもなく、弦にもそれなりの変化があった。典型的な現代音楽で、メロディーもリズムもよく分からない。響きはあるが、ハーモニーは「無い」と言っていいような気がする。特に管楽器の場合、彼らの出している音が本当に必然なのか?というのは、頭を抱えてしまった。この曲も、聴衆の反応は非常によく、客席にいた演奏者が全てステージに上がるまで、すなわち指揮者が3度目呼び出されるまで、力のある拍手が続いていた。私もよく分からないながらに面白かったのだが、それはあくまでもライブだからであって、録音でこの曲を楽しむ自信はまったくない。
 現代音楽を聴くことは、私にとって「お勉強」である。音楽というものが、今後どこへ向かって行くのか?行こうとしているのか?それをせっせと見極めようと思いながら聴いている場合が多い。だが、昨日について言えば、結果として、私はそんな面倒なことは忘れて、ただただ強烈な音楽の快感に浸っていたのであった。来年も行かねば・・・。