未来世代への責任

 7月に入った。とても暑い。塩釜は、昨日、最高気温が33℃を超えた。相変わらず続けている朝の塩釜神社詣で=約230段の階段上りが、一気に億劫になってきた。

 さて、定期考査終了後の授業で、岩井克人「未来世代への責任」という文章を読んでいた。2001年8月に朝日新聞夕刊に掲載されたものらしい。私は以前から、岩井克人という経済学者を非常に頭の切れる人物として評価している。この文章も、頭のいい人が書いている文章独特の明快さがあって扱いやすい。
 テーマは環境問題、その中でも温暖化である。作者の主張の核心は、環境問題は水平問題(他国との関係)ではなく垂直問題(現在世代と未来世代との関係)であり、水平問題なら経済理論で解決できるが、垂直問題であるが故に「倫理(=未来世代への思いやり)」なくして解決はあり得ない、というものだ(作者は「水平問題」「垂直問題」という言葉は使っていない)。私的所有制に基づく自己利益の追求によって社会全体の利益を増進することを目指す経済学者を、「倫理」を否定するが故に「悪魔」であると語り、読者の気持ちを引きつけようとするユーモアも秀逸だ。
 1997年に署名された京都議定書には、経済理論が導入され、二酸化炭素の排出枠の売買が規定された。しかし、温暖化が垂直問題である以上、それは問題の解決を実現させない。各国間で認められた排出枠の売買が、現在世代と未来世代の間で成り立つならよいのだが、未来世代がまだ存在しないものであるために、その様な取引は成り立たないからだ。
 このような時事問題というのは、状況が刻一刻と変化する。一方、教科書に載る文章は、短くても発表後10年くらいの時間を経ている。「未来世代への責任」だって、発表後17年が経つ。文章の中の「現在」に立って文章を読み、20年近い時差による状況の変化を考慮しながら現在の問題に当てはめて考えさせる必要がある。しかも、授業を受けている生徒は、まだ20年も生きていない。今、私の授業に出席し、「未来世代の責任」を読んでいる3年生は、その文章が書かれた時の直前ほぼ1年以内に生まれた生徒だ。生徒がテキストの中の「現在」を実感し、現実の「現在」とすり合わせながら問題を考えるのは、おそらく私が考えるよりも難しい。
 「未来世代への責任」が書かれた2001年と、現在、すなわち2018年とでは、温暖化問題の切羽詰まり方は桁違いだろう。京都議定書が、各国の批准に手間取り、10年近くもかけてようやく発効したと思ったら、2015年にはパリ協定へと世代交代した。この間に、IPCC気候変動に関する政府間パネル)が深刻な温暖化の現状と将来予測とを明らかにし、アメリカの元副大統領アル・ゴアが映像によって全世界に突き付けたのは、まさに「不都合な真実」であった。つい最近の新聞記事を見てみても、北極海の氷があと20年で全て溶けるとか(6月9日河北新報そのことに触れた記事)、有効な対策を取らなければ今世紀末に日本でも平均5.4℃の気温上昇が起こり得る(4月4日毎日新聞)といったものをすぐに見つけることが出来るのである。
 つまり、2001年には、人類が正常な生活が出来ないほど温暖化が進行するのは次世代の問題であると考えられていたため、作者の言うとおり温暖化は垂直問題であったが、2018年の次点では、老い先の短い私でさえも、自分の人生の範囲内で驚くべき過酷な状況に直面する可能性を感じるまでになっている。垂直問題というほど長い時間スケールの問題ではなくなってきているのである。
 もちろん、それは作者が「まだこの世に存在しない未来世代」の問題だと言うほど遠くにあるわけではないというだけであって、目先の利益を追うことに日々汲々とする現代人にとって、20〜30年はあまりにも長い時間のスケールだ。いくら自分の人生の範囲内とは言っても、20年先、30年先の予測に基づいて、現在の自己利益追求を制限することは難しい。だからこそ、具体的、実際的にはほとんど何の手を打つこともなく、むしろ加速させながら、日々の快楽と経済成長とを目指して二酸化炭素を出し続けているわけだ。温暖化問題は、20〜30年という世代内問題になってきても、まだ垂直問題であるということである。
 今後、その時差はどんどん小さくなるはずだ。それがいったい何年になれば、垂直問題でなくなるのだろう?その時差こそが、人々に見えている「現在」の範囲だということになる。どうも私は悲観的だ。もしかするとそれはせいぜい2〜3年かも知れないし、もしかするとゼロ、つまり破滅的な状況に実際ぶつかった時でないと、危機は認識できないかも知れない。いやいや、温暖化の恐ろしいところは、行為と結果の因果関係が見えにくいという点にこそあるので、破滅的状況に立ち至っても、人々は自分たちの生活の問題には気がつけないかも知れない。
 経済学理論は通用しない。「倫理」の問題である以前に、問題の深刻さが認識できないとしたら・・・?やはり、神は一つの種だけが極端に繁栄し過ぎることのないよう、上手く自然界を作ったものである。