加速は自然の理法か?

 今日は石巻の花火大会。我が家から徒歩15分の北上川河口で、人波にもまれることもなく、ゆったりと見物できる。仙台で37.3℃という観測史上最高気温を記録し、石巻でも36℃を超えたとかで、花火の時間になってもそこそこ暑かったが、幸いにしていい風が吹いている。花火の煙はあっという間に流され、しかも北上川の川面を下流へと流れていく。おそらくこれ以上の花火日よりはあるまい。
 改めて、日本の花火の美しさに驚いた。偉そうに「日本の」などと言ってみたところで、私は海外で花火大会を1度しか見たことがないので、他と比較しての「日本の」ではない。それは絶対値である。

 暑かったので思い出した。7月20日過ぎに、教職員組合による要求書の提出というのがあった。私は行っていないどころか、最終的にどのような要求書を提出したのかも知らなかったのだが、聞くところによれば、執行委員会でもめた末に、要求事項の1番は「教室へのエアコンの設置」なのだそうだ。
 あ〜あ、結局そうなるのか、と私はため息をつく。いくら暑いとは言っても、私が高校時代の兵庫よりは、今の宮城の方が絶対に涼しい。自然界の理法に逆らってエアコンを付けるよりは、体育の半袖・半ズボンで授業を受けてもいいよ、とか言うのが先だろうと思う。直後に、共産党宮城県議団が、同様の要求書を県に出したという報道があった。職員組合の要求書との関係は分からない。
 そうしたところ、30日の毎日新聞「教育の窓」というコーナーで、「教室のクーラー、道半ば」という見出しが目に止まった。見れば、都道府県ごとの小中学校への設置状況の一覧表が載っている便利な記事だ。設置率最高は東京都の99.9%、最下位は北海道の0.3%。全国平均は49.6%というので、既に約半分の教室にエアコンが付いていることになる。ちなみに我が宮城県は4.1%(こんなにあるんだ!)、我が母校のある兵庫は58.8%(ただし、あくまでも小中)。香川が全国2位の97.7%なのに、お隣の愛媛が、東北と北海道を除くと長野に次ぐ下から2番目の5.9%というのは面白い。意外なのは九州。長崎の8.6%を最低として、熊本、大分、宮崎、鹿児島といった県が30%前後だ。たまたまなのか、貧しいのか、ポリシーなのか知らないが、ポリシーだったとしたら偉いな。
 温暖化については、国連(IPCC)によってもかなり深刻な予想が為されている。だが、私はもっと悲観的だ。どうも私が知る限り、自然現象というのは後ろへ行くほど加速するからである。その加速が、さほど考慮されているような気がしない。
 星の一生がその典型。数十億年という気の遠くなるような時間スケールで生まれ、燃え、冷えていくのに、変化は加速し、超新星爆発に至る変化は、最終的に秒単位となる。人間の一生だって、20歳前後をピークとして徐々に衰えていくが、「70(←個人差大きい)を過ぎてからがたがたっと来た」という言葉はよく聞くとおりだ。
 私の感覚では、地球温暖化は最終段階に入りつつある。大きな気象災害が繰り返されているが、人々は自然の前に襟を正したりしない。力尽くで(=石油を燃やして)、おそらくは必要最低限を遙かに超えた「復旧」をしようとする。ボランティアも、ほとんど1人1台の車で遠方から駆けつける。高温と乾燥の結果として、ギリシアやカリフォルニアでは大規模な山火事が発生した。植物が燃えるのはカーボンフリーだと言っても、地面が露出したことによる悪影響は大きい。さらにすぐ思い浮かぶのは、熱帯やシベリアの広大な泥炭地だ。北極海の氷があと20年で全て溶けると言われているのである。永久凍土層だって溶ける。そして泥炭地に火が付くか、直接炭素が空気中に漏れ出てくる。
 命を守るという美名の下、エアコンを付ける。あまり節度は期待できない。電力需要が増える。原発は動かしにくい。まやかしだらけのバイオマス発電所か石炭火力発電所が増える。すると二酸化炭素は急増する。私には、温暖化→間違った対処→二酸化炭素の予想以上の増加→温暖化の加速という図式が思い浮かぶ。
 温暖化は加速して、予測の上方修正が必要になる。やめた方がいいと思うよ、宮城のエアコン。