入院の記録(1)

 勤務先の高校は、今日から新学期。いや、今の高校は、ほとんどが2学期制なので、新学期は10月1日からしか始まらない。では、夏休み明けをなんと呼ぶのか?これがいつも悩ましい。前期の後半というのは、おそらく前期第1回の考査が終わった後なので、6月20日頃から始まる。では、前期後半の後半?これはまた分かりにくい。結局、夏休みが明けたら新学期=2学期とするしかない。面倒である。
 今日から新学期、と言いつつ、私は自宅にいる。実は、今週月曜日から石巻市立病院に入院していて、先ほど退院してきたのである。
 病名は「左鼠径ヘルニア」。火曜日に、なんと全身麻酔で腹腔鏡手術を行った。その2日後に自宅にいるというのは信じがたい。
 異常に気付いたのは6月末である。左の下腹部が、卵の4分の1くらいの高さ膨らんでいることに気がついた。触ってみても違和感はなく、しこりのようなものも触知しない。なんとなくいやな気分はしたものの、他事に紛れて放置しておいた。8月の頭に、知り合いの外科医に会った時、実はかくかくしかじか・・・と相談してみたところ、「鼠径ヘルニアだね。他の病気の可能性?・・・ないな。すぐにどうなるということもないけど、『かんとん』になると危ないし、自然に治癒する可能性もないので、いずれ切った方がいいね。簡単な手術で、1泊2日くらいだよ。」と言われた。仕方がないので、8月7日に我が家から自転車で10分、石巻市立病院に行った。
 東日本大震災の前は、我が家の南、徒歩15分の所にあって、私も肝炎の治療のために入院したことがあった(→その時の話)。その後、津波で1階部分が壊滅的な被害を受けた。それでも、元々建ててから13年しか経っていない頑丈な建物だし、被害を受けたのも1階だけなので、修復して再開すればよいものを、被災した場所にある病院には行きたくないという市民の声を受けたとかで、移転・再建という道を選んだ。おかげで、我が家からの見晴らしはますますよくなりはしたものの、現代の「見境のない豊かさ」を象徴するようなアホな選択であった、と私は今でも思っている(→解体の時の記事)。石巻駅に隣接する新病棟が完成したのは、一昨年の9月である。
 なぜ石巻市立病院を選んだかというと、入院・手術のできそうな病院としては最寄りだったのと、いつも空いているという噂を耳にしていたからである。待つことに時間を取られるのはバカバカしい。
 初診の受付は8時からだというので、念のために8時に行った。なんとびっくり、200人くらいは入れそうな広いホールに、患者らしき人は私を含めて5人しかいない。診察の開始は9時なので、1時間半ほどは待たされて、診察となった。結果は、知人の見立ての通りだった。ただし、「1泊2日というわけにはいきませんね。全身麻酔をかけるための検査を事前に受けてもらうとして、3泊4日です。探せば日帰りでやってくれるところもあるかもしれませんが、そういう所は、どうせ手術の1〜2日後から通院が必要です。どっちが楽ですかねぇ。うちで手術するなら、いつでも予定は組めますよ。」と言われた。
 インターネットで検索しただけで、病院を決められるとも思えず、どこがいいかと迷いながら、いくつかの病院に診察を受けに行くのは面倒だった。全身麻酔は大げさだな、とも思ったが、3泊4日でその後の通院不要なら、決して悪い選択ではないかな、腹腔鏡の方が負担が軽いという話もあるし・・・と、私はそこで手術を受けることに決めた。
 見た目で異常は分かるものの、生活に困ることは何もない。確かに、変な時に悪化して入院となるよりは、スケジュールとの兼ね合いを考えながら、生活や仕事に不都合のないように入院できた方がいい。しかし、そのときの自分の心境を思い出してみるに、変な話だが、今年の夏の単調さに退屈していて、変化を求めていたのではないか、という気もする(笑)。
 よく空いている病院は、検査もスムーズだった。私はその日のうちに、全身麻酔をかけるための一連の検査というものを済ませ、8月10日に改めて診察を受けた。検査結果にはまったく問題がないので、本人が希望すればいつでも切ります、とのことだった。既に検査に9450円もかけてしまった私に、「やっぱり切らない」という選択はなかった。13日入院、16日退院という手もあったが、私は現在3年生の副担任である。3年生は、就職のための校内手続き締め切りが、その週に設定されている上、AO入試のエントリーシートの提出を控えている生徒も多い。しかも、正担任がインターハイのため、その週は学校にいない。そんなことを考慮し、最後の1日が新学期に重なるけれど、20日入院を選んだ。
 帰宅後、若干の後悔が生じてきた。あのガラガラの病院が不安なのだ。やはり病院やレストランは混んでいるべきなのではないか?市立病院、あるいは現在そこに勤務している医師がどの程度の症例を経験し、腕を持っているのか・・・それが信用ならないから、人々が行かないだけではないのか?そんな気持ちが猛然とわき起こってきたのである。とは言え、では他の病院の医師なら信用できるのか?といえば、そんなことをいちいち調べて比較してはいられないのである。あるいは、データからいくら想像をたくましくしても、その人の腕というのは、結局、その人が作業をしている場面を実際に見てみなければ分からない(→参考記事)。「乗りかけた船」とはこういうものだ。私は観念することにした。(続く)