胸中複雑・・・ラトルの名演とテロップの横暴

 昨夜は、Eテレで、サイモン・ラトルベルリンフィル芸術監督退任記念演奏会の録画を見ていた。ラトルも在籍16年。関係良好だったにもかかわらず、自ら望んでの退任だったらしい。ベルリンのフィルハーモニー(ホール)で演奏会が行われたのは、今年の6月19日と20日のことだった。曲目は、ラトルが約30年前、1987年にベルリンフィルの指揮台に初めて立った時と同じマーラー交響曲第6番。演奏が始まる前に、「サイモン・ラトルベルリンフィル 16年の軌跡」という25分強のドキュメンタリーが放映された。
 ラトル、オーケストラ、聴衆、誰もが特別な思いを持って会場に集まっている以上当然なのだろうが、おそろしく凝縮された、密度の高い演奏が繰り広げられた。
 30分近くかかる長い長い第1楽章が終わり、第2楽章が始まった時、私は意表を突かれた。始まったのは第3楽章だったのだ。そして、第3楽章の後で通常の第2楽章が演奏された。え?こんなやり方って「あり」なんだっけ?と思って、身の回りの解説書類を慌てて見てみたが、どこにも、第2と第3は楽章の順序を入れ替えることがある(入れ替えてもよい)、とは書いていない。私はラトルによるこの曲の録音を持っていないので、彼が以前からこのようなことをやっているのかどうかも分からない。
 マーラーの第6番という曲は、第1楽章と第2楽章が、ともに力強く音を刻む行進曲風の楽想で始まる。似ていると言えば似ている。第3楽章はアンダンテ・モデラートの夜想曲風だ。従来の交響曲の作法に従えば、第2楽章に緩徐楽章があるのが一般的だ。ラトルは、類似の連続を避け、この曲を従来型の交響曲として演奏したわけだ。だが、普通に考えれば、やはりこれは許されない。なにしろ、マーラーはその従来型を拒否し、あえてこのように書いたはずだからである。
 楽章配置の変更に度肝を抜かれたところで、そこから先は、調べるために手に取った楽譜を見ながら聴くことになってしまった。別にこれはラトルが特別というわけではないのだが、指揮者の音楽を把握する能力、その確実さというものには驚かされる。ラトルはこの複雑巨大な曲を暗譜。非常に細やかに、正確に指示を出す。多いところで30段もある楽譜は、私なんか、他人の演奏に合わせて小節を追うのが精一杯だ。一瞬の弛緩もなく、充実のうちに85分の演奏は終わった。ステージからオーケストラが引き上げた後も、ラトルに対するスタンディング・オベーションは続いた。幸せな人だな。
 ところが、完璧な演奏に対する感動があった一方、番組が終わった時に、私の頭の3分の1くらいは、怒りとも落胆ともつかぬ感情に満たされていた。それは、番組が間もなく終わるという時に、画面にテロップが入ったからである。「10:55北海道地方でやや強い地震がありました。〜」というものだ。演奏が終わった後だったからまだよかった、などと言うわけにはいかない。熱狂し、楽員がステージから去っても拍手が収まらない高揚した会場の雰囲気。間もなく再びラトルが現れるはずだと期待する、その瞬間に地震のテロップである。唖然とするほど不粋で興醒めだ。
 思えば、地震情報は、マグニチュード2〜3といった軽微なものでも、いちいちテロップで全国に情報伝達が為される。それは本当に必要やむを得ない情報なのだろうか?NHK特集や特別な演奏会など、教材化であったり趣味であったり、私は時々録画しているが、そのような保存版の映像にテロップが入るのは、ほとんど「被害」と言ってよいほどの重大問題だ。
 ここでふと、森達也の本の一節を思い出した。

「テレビ業界に入ったばかりのAD時代、先輩ディレクターが担当した番組のオンエアを局のスタッフルームで一緒に見ていたとき、かなり大きな地震があった。そのときの先輩ディレクターの怒りと嘆きはすごかった。なぜよりによってオレの番組が放送されるときに地震なんて起きるのだと、まさしく地団駄踏んで髪をかきむしりながら悔しがっていた。なぜなら地震の速報テロップが画面に入るからだ。それほどに画にこだわりを持っていた。当たり前だ。だって映像表現行為従事者なのだから。」(『「自分の子どもが殺されても同じことが言えるのか」と叫ぶ人に訊きたい』ダイヤモンド社、2013年)

 見ている側が憤るのだから、番組制作者の側が怒り狂うのは当然である。むしろ、それほどの怒りを感じるようでなければ、映像はあなたにとってその程度のものなのか?と問い質されるべきであろう。その怒りは、高い職業意識の表れとして評価されるべきものだ。
 携帯端末をほとんど全ての日本人が持ち、防災無線も多くをカバーする状況の中で、軽微な地震やスポーツ選手の優勝、誰かの逮捕など、いちいちテロップを流す必要なんかない。私はそこに、極めて日本的なべたべたとした「親切」と、報道しないことで批判されることを恐れるという、放送局から社会への卑屈な忖度とを感じ、なおさら嫌気を増す。あ〜あ、地震があと4分遅く発生していたら、こんなもやもやとした気分を抱くことなく、ただただ名演奏の余韻に浸ることが出来たのに・・・。くそっ!!