記録の条件

 今日、中日ドラゴンズの岩瀬が、ついに引退表明をしたらしい。最近の様子からして、まぁ、当然だろうな、と思う。驚きはない。自ら引退を宣言しなくても、球団が契約更改に応じなかったのではないか?そんな岩瀬が、先月28日に、通算1000試合登板の大記録を作ったことは、最後の花道としてこれに勝るものはない。
 1000試合登板は、想像を絶する大記録である。しかし、それが「投手における日本記録だ」と言われると、ちょっと待てよ、と突っかかりたくなる。
 私が見た範囲では、29日の毎日新聞だけが、登板数だけではなく、投球回や勝ち負けも含めた記録の比較をしていた。それによれば、1000試合登板の岩瀬は、投球回で言えば984回3分の2に過ぎない。1登板あたり1回も投げていない勘定である。
 よく言われる話、現在のような「先発−中継ぎ−押さえ」という分業体制が確立したのは、最近のことである。それ以前、ピッチャーというのは、「先発−完投」というのが当然であった。
 登板回数で言えば、岩瀬に次ぐ日本第2位の記録は元近鉄米田哲也で949試合だ。しかし、米田の投球回はなんと岩瀬の5倍を超える5130回である。勝敗は、350勝285敗。登板数第3位の金田正一は更にすごい。登板数こそ944試合で第3位だが、投球回は5526回3分の2で第1位。400勝298敗だ。ちなみに、岩瀬の勝敗は59勝51敗407セーブである。「押さえ」役として登板すると、押さえに失敗して「セーブ」は付かなかったが、次の回に味方が勝ち越してくれたので「勝ち」が付いた、という事態も発生するため、勝ち星にはマイナスの意味がある場合もある。岩瀬の59勝がどうかは知らない。
 つまり、昔の「先発−完投」型の投手と、「押さえ」専業投手の登板数を比較することそのものが無理なのだ。登板数が、実力と投手生命の長さの証であるとすれば、私には岩瀬よりも米田や金田の記録の方が遙かに価値あるものに思われる。その意味では、登板数第6位の江夏豊の、登板数829、投球回3196、206勝158敗193セーブというのも、岩瀬を上回る大記録だ。
 思えば、イチローが210安打を放って、シーズン安打数の日本記録を作った1994年、試合数は130であった。最多安打記録はその後、マートン阪神、2010年、214本)、秋山翔吾(西武、2015年、216本)と更新されるが、その時の試合数は144試合、143試合である。日割り計算をすれば、イチローが勝ちだ。
 イチローはプロとしての通算安打数4367本という世界記録を持っているが、うち1278本が日本、3089本がアメリカでのものである。その結果として、世界記録はせいぜい「参考」としてしか評価されず、日本記録張本勲の3085本、アメリカ記録はピート・ローズの4256本が公式に認められている。
 記録などというものは、条件が違えば比較できないのが当然だ。だから、4367本が「世界記録」として認められないのは当然であって、もちろん、王貞治のホームラン数868本も「世界記録」と認めるべきでない。それでいて、日本のプロ野球で、試合数が13も違うイチローと秋山のシーズン安打数を、同じように扱うのは不合理だ。
 江夏や大野豊がそうであったように、そして松井裕樹もそうなるかもしれないように、投手は最初から最後まで同じ役割を担うとは限らない。先発が押さえに回ったり、中継ぎが先発になったりする可能性は常にある。だとすると、押さえとしての登板数、中継ぎとしての登板数といったくくりも合理的ではない。
 世の中では、分業化、細分化が進む方向にある。野球だけではないかもしれないが、野球は特にその傾向が強いようだ。分業化が進めば進むほど、記録の比較は難しくなる。仕方がないのだ。だが、少なくとも条件の違いは常に明示すべきだろう。そうでなければ、祝えるものも祝えない。