敵は内にあり・・・部活手当の削減

 昨日、宮城県議会の総務委員会で、高校教員の部活動手当改正案が可決した。まだ県議会を残しているとは言え、実質的には決着である。
 具体的にいえば、現在4時間以上で3600円の手当を、3時間で支給する代わりに2700円にする、というものである。なぜこのような改訂が行われるかといえば、今春制定された部活動のためのガイドライン(→これについての新聞投稿その元になった作文)によれば、休日の部活動は3時間以内、ということになっているからである。4時間で3600円なら、1時間あたり900円だから、3時間なら2700円だろう、という理屈である。(教員の中にも、1時間単位で支給されると思っている人がいるが、時間計算はされない。現在では、4時間以上部活指導に従事したら3600円、それ未満ならゼロ。)
 誰でも言うことだが、ここにはいくつかの問題が含まれる。ひとつは、そもそも、本当に休日の部活を3時間に出来るのか、という問題である。練習試合をするにしても、1試合が必ず1時間以内に終わるバスケットボールと、2時間半でも終わらないかもしれない野球、更には1日単位でしか動けない登山など、種目の特性もある。
 ガイドラインは、平日の部活動をも2時間に制限しようとしている。休日は練習試合を組む。平日2時間しか出来ないのだから、休日は少しまとまった練習をしたい、という場合もある。それを本当にガイドラインどおり縛りきれるのか?それが本当にいいことなのか?
 もうひとつは、3時間2700円なら、時給900円ということになるが、この金額でも十分に人をバカにしていないか?ということである。宮城県最低賃金は798円である。プラス100円に過ぎない。それで教員を働かせようというのである。4時間以上3600円という現行制度は、2時間や3時間では支給の対象とならず、4時間以上何時間やっても3600円というブラックなものである。金額を維持したまま支給基準時間を引き下げて、3時間3600円にしたとしても、時給1200円に過ぎず、決して妥当な金額とは言えない。
 結局の所、これは小手先だけの議論に過ぎない。学校とは何をする場所か、部活動は学校内でどのように位置付けられるべきか、という「そもそも論」をせずに、いろいろな人の顔色をうかがいながら制度作りをするから、面倒なことになるのだ。急がば回れ。部活動のあり方については、原点に立って、虚心に徹底的に哲学的な議論をして欲しいと思う。
 私がどのように考えるかについては、既に何度となく書いたので(→例えば)、今更長々と繰り返さないが、国語や数学の指導者として採用された人間が、サッカーでもバスケットでも登山でも、言われたスポーツの指導を勤務時間のことなんか考えずにやりなさい、というのは常軌を逸している。この常識が通用しない学校という場所は何なのか?
 おそらくその背後には、学校を純粋な目的集団と考えず、生活の場として考える傾向、もしくは慣習がある。そしてまた、その考えを利用して、安上がりにスポーツ振興を行ったり、放課後の居場所作り(小学校でいうと児童クラブと同じ)をしたり、家庭に代わってしつけ(生活指導)をしたりと、様々な役割が部活動に押しつけられた。
 実は、私は、以前書いたとおり(→こちら)、部活動手当はないのが一番いい、と思っている。なぜなら、いくら安くても、手当を出すことで部活指導を教員の職務として固定化することになってしまうからだ。手当がなければ、「部活指導は教員の仕事ではない」ことが明瞭になる。
 とはいえ、無駄に豊かであるために、スポーツが偏重されるご時世である。競技団体にいいように利用され、学校から部活を閉め出すことは難しい。そして何よりも、学校で大半を占める無批判で生真面目な教員は、「そもそも論」などという面倒なことは考えず、校務分掌の一つとして部活顧問を割り振られれば、しゃにむに頑張ってしまう。充実感を求めて(?)、仕事を増やすことが大好きな人も多い。やっぱり敵は内にあり、だな。