不憫なキツネ

 昨朝の5時半過ぎことである。布団の中にいた私を、妻がリビングから声を潜めて呼んでいるのが聞こえた。何事かな、と思いながら、起き出して行ってみると、妻が庭を指さしながら「キツネ、キツネ」と言う。見れば、確かにキツネがいる。私も同じ場所に25年近く住んでいるが、年に1度くらいタヌキこそ見るものの、キツネを見たのは初めてである。(→我が家のタヌキ
 我が家の下、南浜町(跡)には、震災後、豊かな自然が回復し、キツネも出没するようになったというのは聞いていた。その後、祈念公園計画が策定されるや、大規模な土木工事が始まった。雲雀野海岸という地名の由来になったことがよく分かる大量のヒバリも、再びすみかを奪われたことだろう、キツネも居場所に困っているのではなかろうか・・・と、しても仕方のない心配をしつつ、彼らに代わって人間を呪詛していた。そしておそらく、すみかを失ったキツネが我が家の周りに居場所を見出したのだ。
 この世に温暖化ほど深刻で切羽詰まった問題はない、と信じる私は、他の人から笑われる(生徒からはバカにされる)ほどのエコ生活をしてきたのであるが、まだまだ改善の余地がある、その筆頭は生ゴミだ、と思っていた。恐ろしいほどの水分を含む生ゴミを「燃えるゴミ」として出せば、それを無理矢理燃やすために、相当量の重油を混ぜる必要が出てくるだろう。都心のマンションにでも住んでいるのであればどうしようもないとは思うが、田舎で、いやしくも庭付きの一戸建てに住んでいるのである。生ゴミを自然に戻すことは可能であるはずだ。前々から思ってはいたのだが、野生動物に荒らされる、虫が発生するといった心配があって、なかなか実行できずにいた。
 そして、今月から、気温が下がったのをいいことに、ついに庭に直径と深さがともに30センチあまりの穴を掘り、そこにポイポイ生ゴミを捨てるようにし始めたのである。4分の3くらいたまったら土をかぶせ、隣にまた別の穴を掘ろう、と思っているのだが、一つ目がまだいっぱいにならない。鳥や猫が掘り返して散らかすのではないか?と心配していたのは杞憂であった。動物性のものは、以前からタヌキの通り道に置いておくことにしていたので、穴に放り込んでいるのは野菜のかすばかりだ。植物性のものは、身の回りにあふれているので、わざわざそんなゴミに頼る必要がない、ということなのだろう。鳥も猫も生ゴミ目当てでは来ない。
 よくよく見れば、小さなハエがたくさん発生していて、穴の周りを飛び回っている。しかし、そこから遠くに飛んでいくわけでもなく、家も窓を閉め切っているので、わざわざ穴に近寄っていかなければ気にならない。気温が下がったということは、分解のスピードも落ちるということなので、今後どれくらいの時間でこのゴミは土になるのだろうか?と気にしながら見ている。
 キツネはこのゴミを目当てに現れたのだろうか?静かにではあるが、その後、子ども達も起きてきて、我が家4人がじっと見つめているにもかかわらず、それを知ってか知らずにか、キツネは庭を悠然と歩き回っている。ぶよぶよ太った近所の飼い猫と違い、なかなか精悍なキツネの成獣である。尾の先が白い。おそらく、ホンドギツネという最も平凡な種類のキツネだろう。穴の中の生ゴミよりは、むしろヒヨの餌として庭にまいてあるリンゴやナシの芯と皮に関心があるようだ。いくつかの芯をかじったりしながら、かなり長い時間(私たちが気付いてから3分くらい?)うろうろしたあげく、特に何を食べるでも持って行くでもなく、静かに去って行った。南側の垣根の下にかすかに確認できるタヌキの獣道には目もくれず、車の背後に消えたので、その後どちらへ行ったかは分からない。
 妻が「かっこいい」としきりに感心している。確かに、甘さのない野生の表情と、精悍で無駄のない体つきは魅力的だった。だが、私にはやっぱり不憫だ。野生の生き物は、我が家の庭なんかに出て来なくて済む方がいい。死んだキツネも多いだろう。狂ったような土木工事の後には、いかにも人工的な自然公園が出来ることになっている。そこにキツネは改めて住み着き、安住の地とすることが出来るだろうか?先のことまでひどく気になる。