どっちもどっち、またはバルトークのオケコン

 先週末の土曜日は、年度当初の予定によると、中学校の文化祭であった。「年度当初の予定によると」などと書いたのは、それが金曜日にに変更になってしまったからである。特別見たかったというわけではないが、一応娘がステージに出る場面くらいは見に行ってやろうか、と思っていた。さすがに金曜日では難しかった。
 文化祭という大きな学校行事の日程が動くというのは珍しいことである。なんでも、陸上の新人大会が行われることに後から気付いた結果なのだそうだ。つまり、予定どおり土曜日に行えば、陸上部の子ども達が試合を欠場するか文化祭を欠席するかしなければならない。だから、日程を動かすことで全生徒が参加できるようにしたわけだ。「なるほど、それは名案!中学校よくやった!!」などとはゆめゆめ思わない。文化祭が、日頃の活動の成果を、保護者を含めた外部の人に対して発表する機会だとすれば、外部の人が来にくい日程への変更はとても悪い。
 高校なら、間違いなく、生徒が「公欠」として文化祭を欠席する。どっちもどっちである。部活が学校よりも偉いことについては何ら変わらない。「課外」という位置づけであるにもかかわらず、いかなる場合でも部活(対外試合)が優先というこの不条理、本当になんとかならないのかな、と思う。もっとも、教員でもそんな問題意識を持っている人はまずいない。残念ながら、部活は絶対に偉いのである。

 その土曜日、午後から仙台フィルの第322回定期演奏会に行った。本来であれば、中学校の文化祭終了後に慌ただしく出かけて行くところ、時間に余裕が出来たので、例によってJRで仙台まで行き、歩いて旭が丘へ(50分)、それでも余裕があったので台原森林公園1周(30分)までしての会場入りであった。
 指揮者はかの高関健。モーツァルト交響曲第32番、協奏交響曲、そしてバルトーク管弦楽のための協奏曲(オーケストラのためのコンチェルト=オケコン)であった。協奏交響曲ソリストはライナー・キュッヒル(ヴァイオリン)と井野辺大輔(ヴィオラ)。指揮者もソリストも曲目も魅力的だ。
 モーツァルトの第32番をライブで聴いたのは初めて、どころか、録音を含めてもいつから聴いていないか分からないほど久しぶりだった。家の書架を探してみたら、ベーレンライター版の楽譜が出てきたので、かつて何かを考えながら熱心に聴いたことがあるのだろう。記憶にない。
 面白い曲である。交響曲とは言っても1楽章形式で、演奏時間は約8分。昔から多くの人によって、歌劇の序曲として作られたのではないか、と想像されてきた。我が家の楽譜にもわざわざ(序曲)と書いてある。歌劇「魔笛」の後半のどれかの曲に似ているな、と思ったが、具体的には思い出せない。小さな曲なのに、ホルンが4本という編成はびっくりだ。気持ちよく駆け抜けていくような演奏だった。
 豪華ソリストによる協奏交響曲はイマイチだった。今年春にキュッヒルのオーケストラ付きリサイタルに行った時には、なんだかすっきりしない感想を書いた(→こちら)。残念ながら今回も同じだ。年齢(68)による衰えというものである。しかも、全盛期に極めつきの名演を聴かせてもらっていて、その印象が強い、いや、更に思い出の中で美化されるものだから、なおのこと違和感が大きいのだろう。キュッヒルを素晴らしいと思える瞬間が、私にはもう来ないような気がしてきた。
 バルトークは、いかにも高関健らしい練り上げられた感じの名演だった。バルトーク特有の分かりにくさ(→こちら)がないこの曲は、実に面白い。メロディーにも魅力的なものが多いし、ライブで聴くには最高の曲を立派な演奏で堪能した感じだ。自宅で過ごす時間の多かった昨日は、ショルティチェリビダッケ指揮のCDでこの曲を聴き、やはり面白い曲だとの思いを新たにした。
 とは言え、人工の秩序を壊そうとしたがために、人工に慣れた私たちにとって難解になったバルトークの曲が、これほど親しみやすいというのは、もしかするとバルトーク自身にとっては退化だったのかもしれない。あるいは、60歳を過ぎ、人生をあと1年しか残していなかったバルトークの、明解さへの回帰なのか?アメリカで貧しい亡命生活を送っていたことによる、大衆への迎合なのか?
 いずれにせよ、人々の無理解による創作意欲の減退と経済的困窮に苦しむバルトークに、シゲティやクーセヴィツキーといった理解者がボストン交響楽団を動かし、作品を委嘱してくれたおかげで、私たちは今、この曲を聴くことが出来る。単なる作曲家の創作意欲だけで生まれたわけではない、そんな社会的事情も面白い。