恩田陸「骰子の七の目」(1)

 高校の現代文の教科書というのは、授業時数の割に分厚い。たいていはふたつの章に分かれていて、2年間での分割履修が想定されていることが分かる。おそらくどこの学校でもだろうが、それらのテキストの全てを授業で扱うというのは不可能だ。せいぜい半分くらいしか扱えないのではないだろうか?授業で扱わないテキストは、どのテキストを扱うか選ぶ時にざっと目を通す程度で、あまりまじめに読まない。
 先日、ちょっと訳あって、そんな「おこぼれ教材」に目を通していたところ、思わぬことに気がついた。問題は恩田陸「骰子(さいころ)の七の目」という短編小説である。恩田陸と言えば、その驚異的な創作能力に感嘆しつつ、「夜のピクニック」や「蜜蜂と遠雷」しか読んだことがなかった。あまり現実離れをしたSF・ファンタジー作家ではない。ところが、「骰子の七の目」はいかにも現実離れをした奇想天外な物語なのだ。なぜ私がこの作品をわざわざ取り上げるかは後回しにして、まずはそのあらすじを書いておこう。出来るだけ端折って書くが、それでも少し長くなるかもしれない。教科書では2段組で、12ページである。

 舞台は東京都の戦略会議である。普通「戦略会議」というのは、「観光客を倍増させるための」など、「〜のための」という目的が明記されるのが常だが、この戦略会議にはそれがない。どうやら月に一度定例で開かれているようだ。構成員は大学教授や主婦など男女取り混ぜ6人。文中で「私」とされる代表者は斉藤栄一である。都の戦略会議である以上、都によって選任されたのだろうが、その基準は「都民の平均的な意見を代表する、都民の良識とも言うべき人たち」である。他に司会者が加わる。たくさんの傍聴人がおり、TV中継までされている。
 ところが、この日は1人の若い女が加わっている。「きっちりと切り揃えられた前髪と、まっすぐに伸びた長い髪。顔立ちは整っているが、どこか能面のように無機質なものを感じさせる。灰色のスーツを着て、まるで影のように静かに座っている。」この女は、議論がいよいよまとまりそうだという場面まで、このままの状態でじっとしている。この女がいったい誰なのか、なぜ今日の会議に参加しているのかは誰も知らない。
 この時の会議の議題は「柱時計か腕時計か(どちらの時計がいいか)?」というバカげたものだ。ちなみに前回は「腕時計か携帯電話か?」だったことが書かれている。常に二者択一で議論をすることになっているらしい。
 城間という人物の発言を皮切りに、議論は進む。城間、妹尾、御殿場の3人が相次いで「柱時計」を支持する。途中、忠津1人が「腕時計」支持を表明したりするが、賛同者は現れない。彼らの訴える理由は次のようなものだ。

〈柱時計〉
・家庭の中心にあって、家族の心を一つにする。
・1ヶ所に固定されているため、頼もしさや安心感がある。
・30分に一度鳴ることで、生活にリズムを作る。
・腕時計は贅沢品で、人の物欲を刺激して犯罪を生む。
〈腕時計〉
・時を身につけることになるのがすてきだ。
・職人の技術の結晶であり、物を大切にする心を育む。

 代表者の斉藤も「柱時計」支持である。柱時計支持の意見が続いたところで、「よしよし、今日も会議は順調に正しい方向に向かっている。」と心の中でうなずく。この場合の「正しい」は、斉藤の意見と一致しているということである。
 「柱時計」支持の意見の中で、もっとも強調されているのは、家族の一体感を作り出すという理由だ。城間、妹尾が相次いでそれを訴えた直後、斉藤も「そうだなあ、基本は家庭だよね」と共感を示している。
 こうして、時計として優れているのは「柱時計」だという結論が出そうになった時、あの女が突然口を開く。

「別にどっちだっていいじゃありませんか。」
「どうして二者択一なんです?どうして両方選んじゃいけないんですか?」

 人々が混乱するのを見て、斉藤が反論する。

「わがままは許されませんよ。子供のころのことを思い出してみてください。おやつやおもちゃは、必ず二つのうち一つを選ばされたでしょ。選ぶ、ということは自主性を育てることなんです。迷いに迷って、どちらもなんて、許されなかったでしょ。やっぱり物事ははっきりさせて、どちらか一つに絞らなくちゃ。選ぶことによって判断力も育っていきます。優柔不断は、とてもよくないことです。人は無数の選択肢の中からどれかを選び取ることによって、進歩してゆくんです。私たちは、柱時計か、腕時計か、どちらかを選ばなきゃいけません。この間は、腕時計を選びましたよね。携帯電話ではなく。あの判断を、みんな誇らしく思っているはずです。決断できた私たち、選択できた私たち、それが良識ある都民であり、良識ある暮らしであるはずです。そうでしょう?」

 傍聴人を含めて、会議の場にいた人々は、この斉藤の意見に落ち着きと明るさを取り戻すが、「ばかばかしい」と言い切る冷たい女の声に、再び不安をつのらせていく。その時、女がテーブルの上にサイコロを転がした。

「ご存じ?サイコロの上に出ている目と、陰になって見えない下の目を足すと七になるんですわ。(中略)サイコロには見えない七の影がいつもつきまとっている。(中略)そして、私は見えない七の国からやってきたんですよ。」

 そしていよいよ最後のどんでん返しだ。

斉藤栄一プロパガンダ法違反で逮捕します。」
「常に二者択一を迫り、人々の思考能力を停止に追い込み、二者択一できないものはすべて切り捨ててしまう単純さを扇動した罪により、逮捕する。」

 実は、以上のあらすじの途中途中に、実に効果的に傍聴人の姿が描かれているのだが、それについてはここに書くと分かりにくくなるので、次回に触れることにしよう。(続く)