馬鹿(マールー)の話…ラボ第14回

 昨夜はラボ・トークセッション(ラボ)第14回であった。そこで、早々、今日は「骰子の七の目」お休み。(「ラボ」が何かというのは、このブログの読者にはよく分かっておられるだろう、ということで、今回からは過去記事へのリンクも省略。)
 皆さんご多忙と見えて、この2〜3回、ラボの予約が入らない、とやきもきする状態が続いていた。当日ふたを開けてみれば、ちゃんといっぱいになるのだが、準備する立場としては精神衛生上はなはだよくない。ところが、今回は違っていた。前回の南極に比べれば一般受けしないテーマだろうと思っていたが、順調に予約が入り、1週間前にはほぼ定員充足の状態になった。
 今回の講師は石巻専修大学共創研究センター特別研究員(今春までは教授)の土屋剛先生、演題は「馬鹿(マールー)の話」であった。ご専門は動物生態学で、もともとは羊の研究をしておられたらしいが、現在は地の利を生かして、鹿や熊を対象としておられる。
 日本鹿研究会会長、宮城県ツキノワグマ検討委員会副会長など、大学の外で7つのポストに就いておられるが、その中に宮城県アイスホッケー連盟副会長という、およそ学問とは無関係な役職がひとつ含まれている。思えば、第5回の講師・太田先生はカラコルム未踏峰にも登ったことがある一流の登山家だし、主催者の1人で、第6回の講師でもあった坂田先生はボートの選手(最近は専ら自転車かも)、第12回の講師・山本先生はヨットの大家(東アジア大会の日本代表で後に国体の審判部長)であった。昨夜の席で、大学時代、授業に出ずにスポーツに没頭していた人でなければ、石巻専修大学の教授、あるいはラボの講師にはなれないのか?などと言っている人がいた。事情を知らない人が聞けば、なんだ石巻専修大の先生はまじめに学問をしてこなかった「馬鹿(こちらは中国に生息する鹿の仲間マールーではなく、バカです)」なのか、というような話であるが、もちろん、そんなことを言って笑っているのは内部の人(石巻専修大学の教授)であって、実際には驚異の文武両道がそろっている、ということである。土屋先生も、アイスホッケーに打ち込む一方で、農学博士と医学博士という2つの学位を持つ。
 お話は、牡鹿半島での鹿猟の話から始まり、馬鹿(マールー)を始めとする鹿の仲間についてのお話(分類やら特徴やら)、鹿にまつわる歴史や故事、主に日本における鹿の分布など、文理横断的な幅広いものであった。研究室に閉じこもって細胞レベルでの研究だけをしてきたわけではない、自らも鹿猟に参加し、今までに4000頭の鹿を自ら解体してきたという行動に裏付けられたお話には、独特の説得力があった。
 お話を聞いていて、今や本当にGPSと遺伝子解析の時代なのだな、と思わされた。短時間の、すなわち猟の時の鹿や人間の動きは、GPSで地図上に極めて正確に細かく表示されるし、長時間の、すなわち宮城県沿岸部で北=五葉山の鹿と南=牡鹿半島の鹿が、どのように移動し、生息域を変化させているかというのは、遺伝子解析で判明する。しかも、雄と雌のそれぞれについて、違う手法(mDNA解析とマイクロサテライト分析)で解析すると、雄雌それぞれについての変化の違い(行動の違い)が明らかになるのだそうだ。それらが、中央にある特殊な研究機関ではなく、一地方大学の研究室で出来てしまうのだからびっくりである。
 1時間あまりのお話が終わった後は、例によって宴会。参加者に自己紹介を兼ねて一言ずつ話してもらっていると、「坂田先生の時には、話題がラクダだったのでラクダの肉が出てきたが、今日は鹿の肉が出て来なかったのが残念だ」と言う人がいた。準備者である私は、この瞬間までそんなことを思いもしなかった。しまった、と思った。だが、よく考えてみると、ラクダに比べると鹿は身近だ。牡鹿半島蛤浜のハマグリ堂というCafeに行けば、いつでも鹿肉カレーが食べられるし、ジビエとして大々的に流通させようという話も聞く。身近であるが故に、鹿肉をわざわざ用意することに思い至らなかったとも言えそうだ。
 私もかつて、ニュージーランドで鹿肉(ベニソン)のステーキを食べたことがあるが、その時は甘いラズベリーソースがかかっていて、違和感が非常に強く、美味しいとは思わなかった。昨日の土屋先生のお話によれば、鹿肉は脂肪分が非常に少ない(わずか2〜5%)にもかかわらず、非常に美味だそうである。現在、牡鹿半島では鹿が増えすぎ、被害が大きいので、毎年相当数を殺しているが、そのほとんどは埋めてしまうそうである。
 まさか数億年後に石油になるように、というわけでもあるまいし、もったいない、もしくは殺生な話だ。うまい鹿肉が食べられて、それによって外国からの食肉の輸入を減らせれば、地球環境の維持にもメリットがある。少なくとも、地元のお店でくらい常に買えるようにして欲しいものだ。と、お料理の鶏肉を食べながら考えていた。