これこそが「粋」

 ふと気が付けば、2週間半にわたって更新していない。あと2週間くらいは滞りがちになるような気がするが、生きている証拠だけ示しておく。
 この2週間半の大事件といえば、アメリカの中間選挙と、カルロス・ゴーンの逮捕だろう。中間選挙は、マスコミでも、あれがトランプの勝ちか負けかというのは意見が分かれていたが、私はどちらかというと暗い気持ちになった。
 大統領選挙では、「勢い」というものに乗ってトランプが当選したかも知れない。投票した人の中には、まさか彼が大統領になるとは思わず、面白半分、あるいは民主党政権を牽制する意味で投票した人もいるかも知れない。しかし、彼が本当に大統領になったことに驚くとともに、その後の相次ぐ高官解任劇、外交舞台での傍若無人で下品な振る舞いを目の当たりにして、自分たちの失敗に気付いた。その結果、中間選挙では共和党の大敗・・・ということが起こらなければならない。私の心の中ではそうだったのである。ところが、中間選挙では「ねじれ」こそ生じたものの、トランプは少なくとも大敗はしなかった。トランプ支持は何かの間違い、偶然の産物ではなく、本物だったということである。私はむしろそこに不気味さを感じたのだ。直前に、ブラジルでまた変な人が大統領になったというニュースも、私の憂鬱に追い打ちをかけた。
 カルロス・ゴーンである。毎年、私の生涯賃金の4〜5倍もの給与を受け取っていて、まだ金を求め、使えるということに驚く。彼のそのような性質は、おそらく人間そのものの性質を表してもいるのだろう。以前から私がよく言うとおり、人間は無いから求めるのではなく、あればあるほど求めるようになる。所有は欲望を生むのである。経済成長待望論がどう考えても収束しないわけだ。
 忙しくてブログの更新も出来ないと言いつつ、ずいぶん前にチケットを買ってしまっていた都合で、今日は多賀城市民会館に「三浦一馬キンテート(五重奏団)」の演奏会に行った。若きバンドネオン奏者三浦一馬を中心とするタンゴ演奏のアンサンブルである。三浦一馬はまだ20代。以前書いた小松亮太(→こちら)の弟子だ。
 前半のプログラムは、《古典タンゴ》として定番「ラ・クンパルシータ」(ロドリゲス)や「わが懐かしのブエノスアイレス」(ガルデル)といった曲を、そして後半は、《アストル・ピアソラ》で、「92丁目通り」「ブエノスアイレスの夏・秋」「天使の死」「リベルタンゴ」といった曲を演奏した。
 前半はなんとなくセンチメンタルで、コンチネンタル・タンゴの雰囲気が漂い、タンゴってこの程度のものだったかなと、物足りなさを感じていたのだが、後半は一変した。明らかにピアソラの力である。まるでステージの照明まで変わったように感じた。三浦一馬は「夜の響き」と形容していたが、夜というか大人というか、とにかく凄みのある深い音楽である。私は以前からタンゴとピアソラのファンで、聴く機会も多かったのだが、今回のように前半との対比が鮮やかだと、その価値は衝撃的だ。アンコールには「オブリヴィオン」と「アンダンテ・カンタービレ」。
 会場は5分の入りだったが、客が客席の前半分に集中していたこともあって、閑散とした感じはしなかった。その観客が熱狂して、スタンディングオベーションも見られた。確かにそんな演奏会だった。
 三浦一馬キンテートはヴァイオリンの石田泰尚、ピアノの山田武彦など、優れた演奏者を揃えている。名前だけは耳にしたことがあったが、石田泰尚というヴァイオリニストは面白かった。「組長」と呼ばれているらしく、坊主頭にサングラスで、見た目は年齢不詳(調べてみると45歳らしい)。他の演奏者がスマートなステージ衣装で登場する中、彼だけはボンタン風。演奏していない時はポケットに手を突っ込んだり、横や後ろを向いていたり、歩く時もぐだぐだ。挙措動作の一つ一つがすねた感じで、行儀がいいとはとても言えない。どう見ても、ヴァイオリニストではなく、つっぱりロックバンドのベースギタリストだ。それでいてヴァイオリンは実に上手い。そのアンバランスがいい。あれでヴァイオリンが下手なら、ただパフォーマンスで受けを狙っているチンピラ芸人でしかない。
 公式ホームページによれば、国立音楽大学を首席卒業し、新星日本交響楽団や神奈川フィルのコンサートマスターを務め、「石田組」という弦楽合奏団のリーダーでもある。これはびっくり仰天。CDも発売されていて、あのチンピラ風が「ブラームスのヴァイオリンソナタ全集」は笑ってしまう。ただ、こういう一流っていいな、と思う。かつて旧制高校生という超エリートが、弊衣破帽で歩いていたのと同じ感じだ。おそらくそのようなアンバランスの美学を「粋(いき)」というのだろう。