授業で言葉の海をゆく(1)

 今、2年生が使っている「現代文」の教科書に、俵万智の「情けは人の・・・」という文章が載っている。慣用表現の誤用・誤解をテーマとした極めて平易な文章である。
 授業でこの文章を扱う予定でいたところ、9月の26日に、恒例の「国語に関する世論調査(以下、世論調査)」の結果が発表され、「なし崩し」「檄を飛ばす」といった言葉が、どの程度正しく理解されているか、いや、どれほど間違って受け入れられているか、ということが指摘された。更にその直後、9月29日に、朝日新聞土曜版「be」に、間違えやすい慣用表現のランキングが載っていた。よし、この際、こういった資料も使いながら、言葉の意味や用法に対するデリカシーを高めるための授業をやってみようか、という気になった。
 まず最初は、ビデオである。NHK「プロフェッショナル 言葉の海で、心を編む=飯間浩明」(6月11日放映。自宅で録画)を見せる。提出用のレポート用紙を配り、一応、問題を意識させながら見せた上で、終了後に書かせる。このビデオは、生徒にとっても面白かったようで、なかなか前向きな感想がたくさん出てきた。一部を紹介する。

「思っていた以上に長く時間をかけていて、議論をすることも多々あって、そんな辞書が千円ちょっとで売られているのはすごいなぁ、と思った。自分の辞書も今度、じっくり見てみようと思った。」
「辞書を作るということについて、今まで興味もなかったし、知ろうともしなかったけれど、今回ビデオを見てみて、感心しました。私たちが当たり前のように使っている辞書を、言葉を集めるところから始め、本当にたくさんの労力と作者の思いが込められていることに気付かされました。常に言葉が生まれていると考えると、なんだか不思議な気持ちになりました。」
「言葉の正しい意味を載せることには大きな責任を持つ必要があると思いますが、新しい言葉を世に送り出すことは、多くの人に新たな選択を与えることができ、なくなってはいけない職業だと思います。」
「辞書って、飯間さんのように『言葉』を大切にする、そういった人が作って下さっているからこそ、私たちにとって必要なものとなっているんだ、と思いました。スマホがあれば…、私自身そんな風に考えて行動していました。でも今回、このようなビデオを見て、辞書があることの意味をよく理解でき、そのことを考えながらこれから調べたり読んだりしようと思うようになりました。」
「まさか人が1個1個言葉を調べて作っているとは思ってなかったので、とても驚きました。特に驚いたのが、たった5つの言葉の意味を何時間もかけて書いていることです。辞書に新しく言葉を載せるということは簡単にはできず、言葉ができた場所や、使っている人の数、辞書を見た人の気持ちなど、色んなことを考えて作っているのを初めて知り、本当に大変なんだなと思った。」

 これが終わり、教科書に入る前に、ビデオの内容を振り返ることを兼ねて、もう一つお話をした。
 このブログの読者諸氏であれば、ご記憶の方もいるかも知れない。9月9日の全国三紙に衝撃的なカラーの全面広告が出た。大修館書店の創業100周年と、その記念事業として『大漢和辞典』デジタル版を発売するという広告だ。印刷されている写真は、びっしりと書き込みのされた『大漢和辞典』の校正刷りだ。東京大空襲で印刷工場が被災した際、編集責任者・諸橋轍次の自宅に保管してあったため焼失の憂き目を見ずにすんだ貴重な校正刷りである。この校正刷りが残ったいきさつもともかく、その書き込みからは、『大漢和辞典』の刊行に対する執筆者達の意気込みや執念の激しさ、強さというものが痛いほどに伝わってきて圧倒される。
 私はその広告を黒板に貼ると、図書館から1冊持ち出してきた『大漢和辞典』の実物を見せ、今書いたようなことや、大漢和辞典の序や出版後記(←以前、学級通信=こちらで紹介したことがある)にも触れ、あれこれ解説をした上で、更に次のようなことを話した。

「諸君は飯間浩明さんをすごいと思ったようだけど、どんな辞書にも必ず彼のような人がいます。飯間さんだけがすごいわけではない。おそらく、辞書なんてそういう人がいなければ作れないんです。古語辞典も英和辞典もです。みなさんが使っている辞書の背後に、ビデオで見たような人たちの作業、努力というものがあることを知り、意識している必要があるんじゃないかな?そして、彼らの仕事の価値を評価するには、彼らの辞書を買ってあげるということの他にない、ということも知っておいてほしい、と思います。2500円の辞書を高いという声もよく聞くけど、その背後にある苦労とそれによって生まれた価値を知った時、みなさんがスマホに月々払っている数千円と比べて、その2500円って本当に高いかな?」

 最後の「スマホ」云々はともかく、私は飯間浩明氏だけが特別で、三省堂の『現代新国語辞典』だけがいい辞書だという印象を生徒に与えっぱなしにするのはまずいだろうと思う。仮にそれが、授業の中での話ではなかったとしても、だ。(続く)