雀団子

 毎朝、塩釜駅から塩釜神社に向かって歩いて行くと、途中に、2m半くらいの高さの1本のグミの木(だと思う。そんな実がなるから)があって、道路にせり出して立っている。今はもう葉も落ちて、すっかり裸だ。
 最近になって気付いたのだが、そこに雀がなっている。もちろん「なっている」が日本語としておかしいくらいのことは、いくら私でも知っている。だが、それ以外に形容の仕方がない、と感じるのだ。
 寒いのか、警戒しているのか、雀はまん丸になっている。私の心の中に「雀団子」という言葉が思い浮かんだ。グミの木には雀団子がなっているのだ。20羽くらいだろうか。私は、わずか1.5mか2mくらいの所を通り過ぎるのだが、逃げようとする気配がない。
  かつて、ニュージーランドのワナカという田舎町でティーハウスに入ったところ、開け放した店の中に、誰かが食べこぼしたパン屑をついばみに雀が入ってきた。私の足下も歩き回る。へぇ、こんなに人を恐れない雀っているんだ?これは雀の種類の問題なのか、ニュージーランド人の雀に対する姿勢の問題なのか、と不思議に思ったものである。それほど慣れた感じはしないけれど、逃げない雀団子に少し似たものを感じる。日本の雀は非常に警戒心が強いので、これは珍しい。
 まん丸にぷっくりとふくれあがった雀団子は実にかわいい。立ち止まらずに横目に見ながら通り過ぎる。なごむ。
 塩釜神社のモミジは、まだ散りきらない。先日それについて書いた(→こちら)後、五重塔の裏のモミジはあっという間に散ってしまったが、七曲坂(ななまがりざか)の上のモミジがなかなかに粘り強いのである。これもまた木の個性、ということか・・・。色づき始めてから境内の全てのモミジが紅葉を終えるまで、ほとんど2ヶ月かかるということである。
 警護用か救護用か、プレハブが設置され、参道に臨時の仕切り柵も立てられるなど、塩釜神社では初詣の準備が進んでいる。ああ、年の瀬なのだな、と思う。学期はあと2日。