痛快!!『下町ロケット』

 多忙を極めていた1月から2月の上旬ではあったが、通勤の電車の中では込み入った作業ができないので、漫然と本を読んでいた。そんな中に、以前から気になっていた池井戸潤下町ロケット』(全4冊、小学館、2010~2018年)という本がある。久しぶりで、小説に熱中してしまった。駅に着いた瞬間にページを開き、ハッと気が付けば塩釜駅、もしくは石巻駅。帰りは終点で降りるので問題ないが、行きは乗り過ごさないように注意が必要なほどだった。いやぁ、噂は聞いていたけど、池井戸潤という人の発想力、文章力、すごいものだな、と舌を巻いた。
 何を今更という感じもするけど、一応、読んだことのない人のためにほんの少しだけ解説をしておこう。
 主人公は佃航平。佃製作所という中企業の経営者だが、もとは宇宙科学開発機構(今の日本でいうとJAXAのような組織)でロケット開発に携わっていた。研究者である。7年前に死んだ父親の後を継いで、佃製作所の社長になった。この会社が、産業界の荒波の中を生き抜いてゆく。つまり、この会社の技術を利用し、あるいはそのためにあくどい方法でこの会社をつぶそうとする勢力に対して、立ち向かい、最後には佃製作所が勝利を収めるという物語だ。
 このように書けば「くさい話」に見えるのは重々承知。だが、それを「くさい話」に見せないのが作者の力量、というものである。手に汗握って佃製作所を応援した後には、実に爽やかな読後感が待っている。最後に佃製作所が勝つというのは当たり前の話。しかし、それが分かっていても読者は最後に快哉を叫ぶ。「水戸黄門」と似ているといえば似ている。
 しかも、最後の痛快感だけがこの作品の魅力では断じてない。物語の過程で、仕事っていったい何だろう?私たちは何のために仕事をするのだろう?といった、いわば勤労哲学に誘い込まれ、ともに考える仕組みになっている。案外この点こそが、この作品の最大の存在価値かも知れない。
 佃製作所の特長を挙げれば、次の四点になるだろう。
・仕事に「夢」を持っている。(金や権力のためではない)
・非常に誠実で良心的。(変な駆け引きや、あくどい手段は使わない)
・自分たちの会社に誇りを持っている。(自分たちを安売りしない)
・絶対の技術力を持っている。(しかも手作業)
 最初の二つは、佃航平の人間性というか、思想の反映として理解できるが、後の二つがなぜ実現しているのか、特に、よほど社員が共感し、主体的な問題意識として持っていなければ実現しないであろう高いレベルの手作業技術がなぜ修得されているのか?この点について描かれていないことが、この作品で唯一物足りない点である。しかも、ドラマのあやとは言え、会社内で常に意見が一致しているとは限らず、社長に社員がついて行きかねているといったこともしばしばだからなおさらである。
 まぁ、それはともかく、佃製作所がこのような会社だからこそ、応援したくもなるのだし、最後に佃製作所が勝った時に、喜びがこみ上げてもくるのである。これは、私の心の中に、会社というのはこうであって欲しい、という願望が潜在していることを物語っているだろう。もちろん、それは作者にとっての願望でもあるはずだ。
 池井戸潤は、この作品で直木賞を受賞し、この作品はミリオンセラーになった。既に2度テレビドラマ化され、そちらの視聴率も高いようだ。なぜこれほど多くの人にこの作品が受け入れられたかといえば、それはやはり、単に作者の筆力というのではなく、多くの人が私と同様、会社はこうであって欲しいと思い、自分の夢を佃製作所に託すからではないだろうか?
 もしその想像が正しいなら、これは救いである。現実の社会は、決して誠実で良心的な者に温かくはできておらず、金と権力とが幅をきかしているようには見えるが、佃製作所のような会社に共感し、夢を託す人々は、世の中の腐敗と堕落に多少なりともブレーキをかけることになるはずだからである。