往復書簡(拝啓編)

 昨日、今年に入ってから、山梨平和ミュージアムの浅川保先生から著書をプレゼントしていただき、大いに刺激を受けたというようなことを書いた。ところが、通勤の列車の中で読むには読んだものの、多事に紛れ、受け取りの簡単なはがきを出しただけで、失礼してしまっていた。今月13日になって、ようやく簡単な読後感と質問を書き、拙著『それゆけ、水産高校!』と朝河貫一に関する新聞の切り抜きを添えてお手紙を差し上げたところ、すぐにお返事を下さった。単に私信というのではない、一般的問題を含む内容であるし、先生の著書を読む方にとっては補完的役割を果たすものであるようにも思われたので、先生のご了承を得て公開することにした。
 先生からのお手紙は、非常に簡潔・的確に質問に答えて下さったものである。一方、私からのものはやや冗長の感がなきにしもあらずだ。また、私からの書簡は私の無知をさらけ出しているような所があって、なんとも恥ずかしいのだが、この際、一切省略などしないことにした。


 浅川 保 先生

 寒中お見舞い申し上げます。お変わりなくお過ごしのことと存じます。
 1月には御著書をお送りいただきながら、その後1ヶ月以上の長きにわたって失礼し、たいへん申し訳ございませんでした。幸か不幸か、この2年ほど、片道45分もの電車通勤を余儀なくされているため、読書の時間には恵まれていて、早々に繰り返し読ませていただいたのですが、公私とも多事に紛れて、お返事差し上げるのが遅れてしまいました。
 さて、私といたしましては、第1部を中心として、たいへん興味深く読ませていただきました。まずは、先生のたゆみなきご研究への敬意と、それを分け与えてくださったことに対する感謝を申し上げます。
 しかしそれは、同時に自分の不勉強を恥じる時間でもありました。私自身は中国近代史(辛亥革命から中華人民共和国建国まで)を専門とし、国語科を担当しているのですが、一応、日本の現代社会の成り立ちについては、一人の社会人として関心を持ち、ある程度意識的に情報に接してきたつもりでした。その過程で、鈴木安蔵や朝河貫一など、その名前を目にしたことがなかったわけはないのですが、およそ記憶に残っておらず、今回の先生の御著書でようやく強く印象づけられた気がします。お恥ずかしいことに、地元宮城県出身吉野作造ですら、大正デモクラシーを支えた理論家として、民本主義の言葉と共にその名前を知ってはいながら、民本主義と民主主義の違いについても無知、記念館を訪ねたこともないという有様です。今回、刺激を与えていただいたことをきっかけに、一度記念館は訪ねてみたいと思います。
 ここからはご質問です。
 一つは石橋湛山についてです。私はこの方についても、名前をかすかな知識として知っていただけでした。先日、平和ミュージアムにお邪魔した際、初めてそのおよその生涯を知り、先生の山日ライブラリーの新書を読ませていただき、そしてまた今回、改めて勉強させていただきました。なるほど、気骨のある立派な言論人だという印象は強く持ったのですが、石橋はなぜ首相になることが出来たのでしょうか?
 私が歴史というものを見ると、それがどこの国のいつの時代の歴史であれ、国家なり民族なりが絶体絶命の窮地にある時には、理念と実際が一致した英雄というのが誕生しますが、そのような状況にない時には、それらは一致しません。むしろ、哲学的真実と政治権力は相反すると言ってもよいように思います。平たく言えば、立派な人間は偉くなれない。残念ながらそのような法則が、確かにこの世には存在するようです。
 石橋が首相になることが出来たのは、当時の自民党が、今に比べるとはるかにまともだったから、とは言えないように思います。それは、石橋の後継が岸信介であったことによく表れているでしょう。彼は、政治の世界につきものの、利害打算に基づく権謀術数や薄汚い駆け引きから本当に自由だったのでしょうか?いかに優れた現状認識や思想であっても、それが世の中の表に出てこない例はたくさんあると思います。思想を持つことは、それがいかに立派なものだとしても、さほど難しいことには思えません。本当に難しいのは、立派な思想を現実社会に生かすこと、すなわち、俗世間に思想が受け入れられ、社会全体に影響力を持つことです。だとすれば、石橋の本当の価値というのは、思想内容そのものではなく、世俗の権力をも手に入れたということにあり、私達が考え学ぶべきは、なぜ彼のようなまともに見える人が政権を取れたのか、という点にあるようです。先生が何かしらの見解をお持ちでしたら、ぜひお教えいただきたく存じます。
 もう一つは、戦跡の発掘と紹介に関わる件です。私自身は、先生のように積極的な活動をしてきたわけではありませんが、戦跡を訪ねることや、語り部の方からお話を伺う機会は持ってきました。また、世の中で行われている戦争体験を語り継ぐ運動に対して、肯定的・協力的立場で接してきたとも思います。
 しかし、一方で、戦争の悲惨さを知らしめることが、本当に戦争の抑止力になり得るのだろうかという懐疑を持っております。戦争が悲惨であることを知ることは、さほど難しいことではないように思います。それはやってはいけないことだ、という認識を得ることも困難ではないでしょう。ですから、もしも「今から戦争を始めるぞ」というような法案が国会に提出されるならば、人々は反対できるような気がします。しかし、言うまでもなく、戦争は突然始まりません。様々な作業の積み重ねの上に、余儀なくされるものだと思います。様々な作業とは、既に今日の日本で実現している情報の管理統制(特定機密保護法)、予防的処罰(共謀罪)、集団的自衛権の容認などなどです。
 では、なぜそれらに対して、国民が強い危機感を持たず、安倍政権の支持率が高止まりしているかと言えば、一つは人々の認識の時間的射程が短いために、複雑な因果の過程を経て、それらが危険な結果に結びつくという見通しにたどり着けないこと、そしてもう一つは、そんな将来の起こるか起こらないか分からないようなことよりも目の前の利益(景気回復・社会保障の充実)が優先するという心性の存在、ではないでしょうか?つまり、論理的思考力、想像力の欠如と、目先の利益主義が、将来の危険を見えなくしているわけです。
 私は東日本大震災被災地の真ん中に住んでいます。そこにいて斜に構えて世の中を見ていると、人間が歴史と向き合うことの難しさを痛感させられます。人々は、自分の言葉に耳を傾けてくれる人がいることを喜びとして、自分たちの被災体験を後世に伝えることばかり考え、なぜ自分たちは過去の津波の教訓を継承できなかったのか、とは考えません。まして、被災をきっかけに過去の津波に目を向け、更にそれをきっかけとして、津波以外の歴史的事実からも教訓を得て将来を考えるという発想など、微塵も生まれてはいません。復旧にしても防災にしてもほとんど全て、「また津波が来たらどうする」という極めて近視眼的で狭い発想にのみ基づいて進められています。それがまた別の矛盾や歪みを生むことに対する警戒感はないのです。正に論理的思考力、想像力の欠如と、目先の利益主義以外の何物でもありません。戦争も東日本大震災も同じことです。
 果たして、戦争の悲惨さを伝えることは、問題を克服する方法論になり得るのでしょうか?それらの間には大きな大きなギャップがあって、もしかするとまったく次元の違う話なのではないでしょうか?私の疑問はこの点にあります。
 言うまでもなく、戦争の悲惨さを知ることが本当に戦争を回避することになり得るかという疑問は、ではどうすればそれらの問題を克服できるのだろうか?という疑問でもあります。現時点での私の考えは、戦争や平和と直接関係しないものも含めた日常生活の全て、学校との関係で言えば、全ての教科の全ての内容とそれを学ぶ過程の全てでのみそれらは涵養される、というものです。ただ、そのためには、教員、いや大人の側に、そのような問題意識や学力がなければならないでしょう。それらを身に付けるためには、各自がそのための意欲を持つ必要があるでしょうが、意欲という内発的なものはどうすれば湧いてくるのか。戦跡のような歴史的文物を見ることはそのための契機となるでしょうが、そもそもそれを見てみようという意欲がある人は問題意識を持つことが出来る、問題意識を持つことが出来ない人はそれらを見ようとも思わない。見ようと思わない人に見せる方法はなかなかない・・・こうして思考は迷宮入りをします。そして、私が言うようなことではあまりにも曖昧漠然としていて、何もしないのと同じだ、ということになりかねません。だからこそ、さてどうしていいのか?と悩むわけです。先生がこのことについて何かお考えをお持ちであれば、お教えいただければ、と思うわけです。
 いろいろと面倒なこと、とりとめもないことを申し上げて申し訳ありません。今後とも様々なご教示をいただければ幸いです。
 寒さ厳しき折、くれぐれもお元気でお過ごしください。
敬白

2019年2月13日
     平居 高志

 

追伸)手元に多少の残部がありましたので、拙著をお送りします。ただの「読み物」ですので、御高著に引き合うものではないこと重々承知いたしておりますが、気楽にご笑覧いただければ幸いです。
追伸)朝河貫一に関する河北新報記事をお送りします。たいした情報を含むものではないように見えますが、先生が資料を蒐集しておられるかも知れませんので。これも先生の御著書を読んでいなければ、目に止まらなかった記事です。