往復書簡(拝復編)

拝復
 2月13日付けお手紙ありがとうございました。
 小著『地域に根ざし、平和の風を』をしっかりとお読みいただき、質問までいただき、恐縮です。
 まず、第1の質問、石橋がなぜ首相になることができたかについてです。いくつかあげられると思います。1つは、戦後11年の当時は、現在の右翼政党と化した自民党とは違い、自民党保守政党でありながら、石橋が首相になってもおかしくないくらい、国民政党的基盤を持っていたということがあります。その9年前には、片山社会党政権も短期間ながら成立していました。
 もう1つは、石橋が昭和初期、経済評論家として活躍、戦後、吉田内閣の蔵相として国民的人気があり、人間関係も幅広く、戦犯官僚・岸信介に対抗する人気、力を持っていたことです。それに、石田博英という石橋に心酔していた選挙参謀が多方面に手をまわし(金もばらまいたようです)、石橋・石井の2・3位連合を仕掛け、油断していた岸派を僅差で破ったといいうことかと思います。いろいろな好条件が重なって、日本国民の意識よりはるかに進んだ日本国憲法が成立したように。先生のご指摘のように、哲学的真実と政治権力は相反するというのは、私も多くの場合、そうかと思いますが、その例外的現象かと思います。
 第2は、戦争の悲惨さを知ることが本当に戦争を回避することになりうるか、どうしたら、これらの問題を克服できるか、という、平和教育、主権者教育の根幹に関わる大きな質問です。簡単に答えられるような問題ではないですが、いくつか、あげてみます。
 今も多くの平和教育の実践例が「戦争の悲惨さ→平和の尊さ」となっていますが、これには、私も疑問を持っています。これでは、いくら戦争の悲惨さを教えても、強調しても、戦争はいけない→今は平和でよかった 程度の認識にとどまり、現在の日本・世界の現状をリアルに認識し、戦争を回避する力にはならないと思います。正確には、戦争の実相・仕組みを歴史的にとらえ、戦争に向かう現状を批判的に認識し、主権者として生きる力をどう育てるかだと思います。それは、ご指摘のように、「日常生活の全て、全ての教科の全ての内容とそれを学ぶ過程の全て」を通してということになるかと思います。
 私も大学時代、家永三郎色川大吉氏らの学問的影響と学生運動を経験し、社会変革のための歴史教育をと意気込んで高校教員となりましたが、空回りも多く、転機となったのが、小著の「あとがき」にも書きましたが、甲府一高時代に、生徒の祖父母に戦争体験を書いてもらい、それを授業に活用したことと、「若き日の石橋湛山」に出会ったことです。
 身近なところから出発し、社会・歴史の全体構造との有機的つながりが自覚でき、主権者として、社会に働きかけることができる人間の育成が基本になるかと思います。歴史的なベストセラー、吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』のテーマである、社会科学的認識の育成もそれに通じるのではないかと思います。小著の書名『地域に根ざし、平和の風を』はそんな想いも込めてのものです。
 河北新報の記事、ありがとうございました。昨年夏、福島で朝河貫一記念シンポジウムがあり、その前後、福島民報にも甚野尚志氏らの同様の連載記事が載りました。それを受けての河北新報の特集であり、貴重な資料かと思います。
 同封した河北新報の記事は、私の友人で仙台で吉野作造記念館と連携しつつ、長らく吉野作造の研究・顕彰をされている永沢汪恭さんに関わるものです。何かの参考になれば幸いです。
 御著『それゆけ、水産高校-驚きの学校生活と被災の記録-』、早速、読ませて頂きました。私も37年間の教員生活で、工業高校3年、総合学科高校4年で、残りの30年は、甲府一高などの普通科高校だったため、まったく無縁だった水産高校の実態・・・は新鮮な驚き、発見の連続でした。好奇心旺盛、表現力豊かな先生ならではの筆の走りもあり、ぐいぐい惹きつけられました。水産高校の紹介であると共に、学ぶとは、生きる力とは何かを考えさせる問題提起の書、広く読まれることを願っております。
 社会参加、問題提起の一形態である、平居高志の月曜プリント、興味深く読ませていただいております。時々、どうかなと思うこともありますが、先生の率直な問題提起、大体、共感をもって受け止めております。今後の益々の健筆を期待しております。
 取り急ぎ、お礼と質問へのお答えまで。
 どうぞ、ご自愛、ご活躍下さい。
             敬具

2019年2月21日          
浅川 保