メークドラマ「答辞」(2)

 ところが驚いたことに、卒業式の2日前、総務部長K先生が私の所に来て、Fの答辞の練習に立ち会わせて欲しい、と言う。最初は少し「いや、いいですよ、先生も忙しいのに・・・。2人でやりますから」と抵抗したのだが、抵抗すればいかにもやましいことがあるようで不自然である。断り切れない、と思うと同時に、白状するしかないな、と思った。さすがに、K先生の前では歌詞朗読、当日は歌というような、いわば「だまし」を私がFに指示するわけにもいかない。
 私はK先生に、「歌わせますからね」と言った。K先生は瞬時に事情を察した上で、「平居先生、それは止めて下さい」とぴしゃりと言った。考慮の余地は一切ない、という風だった。そして、「卒業式の雰囲気がぶちこわしになる可能性があります。3年生の中には騒ぐ生徒も出るかも知れません」と理由を述べた。昨日も書いたとおり、歌の内容は卒業式にも答辞の内容にも合っているし、とにかく行儀のいい生徒がずらり勢揃いなので、K先生が言うようなことになんかなるわけがない、とは思ったが、何しろ現場責任者がそう言う以上、私にはどうしようもなかった。私はFを諭し、歌詞の朗読に切り替えるように指示した。Fは少し残念そうな顔をしたが、反発まではしなかった。私の胸中は複雑だった。
 K先生と3学年主任A先生立ち会いの朗読練習はつつがなく終わり、翌日(卒業式前日)は私とF、二人だけで繰り返し練習した。Fは未練を見せるわけでもなく、決まったこととして、私ひとりを前に淡々と歌詞を朗読した。
 卒業式前日、予餞会が行われた。Fが卒業生代表で挨拶に立った。Fは例によって歌を歌い、挨拶を述べた。生徒たちは、その音の外れた歌に笑った。私は、予餞会で自分のスタイルを貫き、卒業式では妥協の形を取る、これはこれで仕方ないかな、と思いながら、やはり複雑な気分で見ていた。
 私は何度か、校長に言ってみようかと考えた。その人柄から推察するに、校長が歌を禁ずるとは思えなかった。だが、現場責任者がダメだと言うものを、告げ口するような形で校長に知らせ、頭ごなしに校長が認めるのはまずいと思ったので止めた。校長も、単に歌っていいかどうかというだけなら、「いい」と言うかも知れないが、K先生がダメだと言っていることが分かれば、「K先生に従いましょう」と言うような気もした。校長に本番のステージ上で、Fが朗読を始めた瞬間、それを制して「今日は歌わないの?」と言ってもらうのはどうか、とも思ったが、いかにも芝居くさいし、さすがに卒業式本番のステージ上でやることとしては乱暴だとも思い、あきらめた。Fに、「歌っちゃえよ。だけど平居先生がそう言った、って言っちゃダメだぞ」などともまさか言えない。残念だが、どう考えても、やはり朗読しかない。
 放課後、放送担当のN先生と打ち合わせをした。「答辞」の場面で流すBGMの音量についてである。私はBGMなんていらないのではないか、と言った。FはN先生が流すオルゴールの音楽を聴きながら少し考えていたが、前半は音量を抑え気味に流してもよいが、歌の手前でフェードアウトさせて欲しいとリクエストした。私は、FがBGMを準備してくれていたN先生に気を遣ったように思えた。内容的にクライマックスの場面でBGMを消し、無音にするのは効果的かも知れないな、とも思った。
 さて、いよいよ卒業式。「答辞」は私にとっても緊張の瞬間だ。オルゴールのBGMを背後に、Nの答辞が始まった。速さも音量も実にほどよい。前半は順調だ。ちょうど真ん中あたりで、BGMが消えてゆく。事前の打ち合わせによれば、Fは少し長めの間を置いてから、噛みしめるようにゆっくりと歌詞の朗読を始めるはず・・・だった。・・・ところがなんと、Fは歌い始めたのである。
 私はその瞬間、「あ、やった」と思った。腹を立てたのではない、むしろ、これはすごいぞ、という感じだ。事前に私は、私が高校生で、Fの立場だったらどうしたかな?と何度か想像していた。強行突破したかもな、とは思ったが、本番で本当にそれをする勇気が出たかと言えば、自信はなかった。Fは、決して図々しい性格ではなく、むしろ繊細といってもよい男だ。そのFが、おそらくは自分自身の表現というものを求めての判断だろう、事前の指示に逆らって歌った。私は、「答辞」の内容とは無関係に、ただFが歌っているという事実を前に涙が出てきた。思えば、N先生に歌の直前でBGMをフェードアウトさせて欲しいとFが求めた時、彼の心の中には歌うという決意が固まっていたのではないか?
 会場、特に3年生には一瞬、小さなどよめきが起こったが、それはとても冷静で肯定的なものだった。途中で笑いも起こった。だがそれは、Fの下手な歌を嘲笑するものではなく、「答辞」を長くしすぎないために、Fが歌詞の途中を省略し、つぎはぎしたことによるものだったようだ。
 終わった。ある意味で理想の展開だった。私が指示したわけでも、許したわけでもないのに、Fは歌い、自分の言葉、自分のスタイルで「答辞」を述べたのだから。
 式が終わった後、K先生は式場の後片付けのために体育館に残り、私は保護者と共に教室に移動したので、K先生と職員室で顔を合わせたのは1時間あまり後である。私は謝った。「私が指示したわけではないとはいえ、申し訳ありませんでした」。意外にも、K先生は晴れやかな顔で、「いやぁ、なんも。ご苦労さんでした。ありがとうございました」と応じた。歌うことがK先生の想定内だったようにも、歌ったことで問題が発生したわけではないという結果論で考えているようにも、歌い始めた時には憤ったが、よく聞いていると内容的に優れた答辞だった、と思っているようにも見えた。
 意外な先生から「平居先生、ご苦労様でした。いつもは答辞なんてあまり聞いていないんですけど、今日は涙が出ました」と声をかけられた。
 「答辞」をめぐるいきさつを長々と書いてきた。私はそれに「メークドラマ」と冠したが、それは必ずしも以上のようないきさつについてではない。本当の「ドラマ」は本番直前2日間のFの心の中にある。式の後、Fとは会えなかった。Fが私のことを探さなかったということだ。彼は彼なりに、私がどんな評価をしているか不安だったのだろう、と私は想像している。この想像が正しいかどうかは分からない。正しいとすれば、Fはステージ上で突然歌うという大胆なことをした割に、覚悟が甘い。(完)