カントを超える

 昨日までとても寒い数日が続いていた。雪が舞い、場所によっては白くなった。暖かい日が続いていただけに、その寒さはこたえた。そして今日、ようやく春が戻ってきた感じがする。
 1月以来、専門学校生や大学生が、やがては高校3年生が通学しなくなった都合で空いていた通勤の列車が再び混み始めた。昨日は、久しぶりで帰路の列車は立ちんぼだった。列車通勤も座れる程度に混雑していなければ苦にならない。それを痛感した3ヶ月間だった。来週からは、朝の列車も立ちんぼになるかもしれない。少し気が滅入ってきた。
 ところで、列車を降りると、まずは勤務先ではなく、塩釜神社に向かって歩くわけだが、いつも感心することがある。毎朝同じ人と、ほぼ同じ場所ですれ違うのである。すれ違う場所は、せいぜい50mか100mの範囲だ。日本人は、と言っていいのかどうかは分からないけれど、人々はなんと正確に時間通り生活しているのだろう、と毎朝驚きを新たにする。
 朝、慌ただしく歩いているので、逆行する私との相対速度は時速10㎞くらいだろう。相対速度10㎞の人間が、50mの間ですれ違うためには、家を出る時間の差が18秒。それを100mに拡大したとしても36秒である。私は列車から降りているので、列車が時間通りに動いている限り、同じ時間に同じ場所を通るのは当たり前だが、彼らは自宅から出てくるのである。毎日、10~30秒の誤差で家を出られるというのは驚異だ。私でも、家を出る時間は最大5分くらいのずれがある。
 時間に正確な生活と言えば、思い浮かぶのはドイツの哲学者、イマヌエル・カントだ。毎日、きっちりと同じ時間に散歩に出かけ、同じ時間に同じ場所を通るので、人々はカントを見て時計の時刻を合わせた、という有名な逸話が残されている。
 カントは18世紀後半の人だ。当時、本当に各家庭に時計があったのかどうか、あったとしてどの程度の精度のものだったのかは知らない。しかし、私が毎朝すれ違う人たちの生活がカント以下だとはとても思えない。これは正確無比な現代の時計が生み出した現象なのだろうか?それとも、日本人もしくは彼らの気質なのだろうか?