『福沢諭吉の真実』(1)

 我が家に最も近い書店には、店内に古書のコーナーがある。2週間あまり前のことだが、『時刻表』(笑)を買いに行ったついでに古書コーナーに立ち寄り、100円均一の新書の中に平山洋福沢諭吉の真実』(文春新書、2005年)という本を見付けた。
 私にとって、福沢諭吉というのは得体の知れない人物である。官に対する民の力を重視し、非常にリベラルで柔軟な思考をするかと思えば、中国や韓国を蔑視し、日本が欧米化することで、アジアにおけるひとり勝ちを目指すという独善的な傾向も強かった。極端な裏表が有り、実に信用ならない。そんな福沢について、平山という人はどのような「真実」を語ろうというのか?税込み108円なら、くだらない本だったとしても被害は少ない。私はその本を買って店を出た。
 カバーの折り返し部分には、次のように書かれている。

「日本の文明開化を先導した偉大な思想家福沢諭吉は、アジアを蔑視し中国大陸への侵略を肯定する文章をたくさん残している。それを理由に福沢を全否定しようとする動きも絶えない。確かに現在も刊行されている福沢の全集にはその種の文章が多数収録されている。しかし、それを書いたのは本当に福沢本人なのか。もし、誰かが福沢の作品ではないものを福沢の真筆と偽って全集にもぐりこませていたとしたら・・・。この巧妙な思想犯罪の犯人は一体誰なのか。」

 既に、全集所収の文章の中には、福沢本人が書いたわけではないものが含まれているという結論が暗示されている。
 本文を読んでいくと、それは「福沢本人が書いたわけではないものが含まれている」などという生やさしいものではなく、そのような文章が大量に含まれていて、アジア蔑視の思想、侵略肯定、天皇崇拝といった思想は、全てそこに見られるらしい。福沢自身が書いたことがはっきりと確かめられる文章の中には、そのような思想は見られない。せっかくなので、著者自身による結論部分を引用しておこう。

「現行版『全集』の署名著作7巻と、おおよそ1500編もある『時事新報』論説の中から福沢の真筆だけを注意深くより分けて読んでみると、そこかわわき上がるイメージは、市民的自由主義者、としか言いようのない福沢像なのであった。」

 ここにある『時事新報』とは、1882年に福沢が起ち上げた新聞である。福沢は自分で論説を書き、この新聞に発表してから著作としてまとめるようになった。これがくせ者だ。なぜなら、現在の新聞の社説が無署名であるのと同じように、『時事新報』の論説も無署名であり、それがどれだけ福沢によって書かれているかについては、慎重な検証が必要だからだ。著者は様々な手段を駆使して、それらを次の4つに分類する。
①福沢自身が書いたもの。
②福沢が立案して他の記者が書いたものを福沢が添削したもの。
③記者の持ち込んだ原稿を福沢が添削したもの。
④福沢が一切関与していないもの。
 その上で著者は、これらがいかにまったくデタラメに『全集』に詰め込まれたかを解き明かす。その作業はたいへん丁寧、科学的で説得力に満ちたものだ。
 福沢の著作を整理し、その伝記とともに刊行したのは、『時事新報』の記者であった石河幹明(いしかわ かんめい)という人である。著者によれば、石河という人は、次の3点において福沢と思想が大きく異なる。
天皇への崇敬心が甚だしく深い。
②国際関係を経済的側面からは考えず、具体的な政治的勢力範囲として捉えがちだ。
③中国人、韓国人に対する民族的偏見が非常に強い。
 これを見ると、分裂した福沢像として私などを困惑させる天皇崇拝、中韓蔑視などは、正に石河の思想ではないか。(続く)