「出典」の当惑

 4月も13日になった。朝から快晴。明日は恒例の大イベント「平居家花見」なので、今日は大掃除(今週末遊ぶために、先週インフルエンザにかかったみたい)。朝食を終えると、まずは窓ふきに取りかかった。日陰に入って北からの風に当たっていると肌寒いが、南側で太陽の光を背に浴びていると、じりじりと暑い、と言っていいほどの日差しだ。朝1分咲き程度だった我が家の桜が、現在、ぐんぐん開いた花の数を増やしている。
 ところで、2週間前に「令和」なる新元号が発表になったが、その大騒ぎは今でも続いていて、毎日のように元号がらみの報道に接する。今日は、今朝の朝刊に載った二つの記事を元に、少し考え事をしてみたい。
 ひとつは、「令和」の考案者と目される中西進大阪女子大学名誉教授による万葉集講座に関する毎日新聞の記事である。中西氏は講座の中で、「『令』に命令の意味があるとの見解について『当たらない』と説明した」とある。写真や見出しを含めて10㎝×17㎝という小さな記事だということもあって、なぜそのように言えるのかについて、これ以上の説明はない。

 実は、前回この元号の印象について書いた時から、私は「令」の意味が気になり続けていた。もともと命令の意味で、「玲」の音通によりいい意味も含まれるようになったのでは?などと書いたのは、かなり当てずっぽうに近い。
 我が家の『大漢和辞典』(旧版)によれば、会意文字、上半分は「集合」を、下半分は「瑞信(しるしの玉)」を意味する。その結果、「権能を以て招集して行動せしめることを示す。よって号令を発して人を使うこと、命令の意とする」とだけ解説されている。なぜこの文字がいい意味になるのかについての説明はない。
 『新字源』では、「あつめる」意の部分と「人がひざまずいた」形の部分からなり、「人を集めて従わせる、いいつける意を表す」とのみ書かれている。『大漢和辞典』と下半分についての見解が異なるが、「命令」が基本的な意味であること、いい意味についての解説がないというのは共通している。
 両者若干の違いはあるものの、どうしても「令」は「命令」の「令」である。中西氏がいかに万葉学の碩学・権威であって、漢字学の専門家ではないと言っても、「令」に命令の意味があるというのは「当たらない」(朝日では「こじつけだ」と語ったとされる)とするのは、あまりにも乱暴だ。
 『大漢和辞典』の記述を信じれば、命令を発する権能が神のようなもの(中国では一般に「天」)によって与えられていると考えた時に、命令そのものもありがたいものとなり、そのことがいいニュアンスを生んだ、ということになりそうだ。だとすれば、その「良さ」は非常に権威主義的、威圧的であり、そのようなものをありがたがる人間(体制側の人間かバカかどちらかだな)にとってのみ「良い」に過ぎない。
 二つ目は、河北新報「座標」欄に載った仙台白百合女子大学教授・大本泉氏によるものである。氏はここで、森鴎外の『元号考』という文章に触れながら、若干の考察をしている。私が気になるのは、何もこの記事の中だけでの話ではないが、「出典」という問題だ。
 言うまでもなく、「令和」の出典は『万葉集』だ、ということになっている。巻5の序「初春令月、気淑風和」がそれというものだ。
 しかし、ここに「令」と「和」は熟語として出てくるわけではない。ある意味、取って付けたような組み合わせであって、こういうのを果たして「出典」と言うのであろうか?「出典」っていったい何なんだろう?という困惑を覚えるのは、私だけだろうか?
 変化を求め、熟語二つを分解して組み合わせるというのは、漢文ではよく見られることなので、「気淑風和」を「気風淑和」と言い換えることは不自然でも何でもない(本当は順番から言えば「気風淑和」が先で「気淑風和」が後)。ちなみに「平成」は、『史記』の「内平外成」に基づくということになっているので、このパターンである。従って、『万葉集』の当該箇所を元に「淑和」という元号を考案したとしたら、その出典を『万葉集』だと言うことはまったく問題なく許されるだろう。だが、「令月」と「風和」との間に、どれくらい強固な結びつきの必然性を見出すことができるだろうか?
 このようなことをしていたら、その許容範囲はどこまでか、一文の範囲であることは当然であるとしても、何文字空いているところまでは許容されるのか?というような話になってしまう。さてさて、やっぱり「出典」って何なんだろう?
 こうなると更に、「出典」はどうしても必要なものなの?という気になってくる。出典などなくても、意味や響き、場合によっては画数といった呪術的な要素まで含めて、いいと思った漢字を適当に組み合わせればいいではないか。簡単だし、「日本の古典が出典だ!」などと変なナショナリズムに酔う人間も出て来なくて都合がよい。