原発反対より節電・・・今朝の河北新報記事

 3月16日、前日の県議会での議論を受けて、河北新報に投稿をした。前日の議会を受けての投稿なので、載せてくれるとしたらすぐだろう、すぐに載らないとしたらその後も載ることはないだろう、と思っていた。数日経っても音沙汰がないので、ボツになったと判断した。

 せっかく書いた作文だし、タイミングがずれるのも間抜けなので、3月21日の本ブログに、その原型ともいうべきバージョンをアップした(→こちら)ところ、今月の10日(水)の昼間だっただろうか?インフルエンザで学校を休んでいたところに、河北新報から電話がかかってきた。「県立高校教諭」という肩書きで投書をしたわけだから、そんな時間に家にいるわけがないのに、不思議なことである。
 私の投稿を載せたいのだ、と言う。私は、既に自分のブログに発表済みなので不都合なのではないか?と言い、ブログのタイトルを伝えた上で、不都合がないなら掲載してくれて構わない、と返事をした。間もなく、再び担当者から電話があって、デスクと相談したがぜひ載せたい、個人のブログレベルであれば重複は構わない、という話だった。私は、私としては載せてくれれば歓迎するが、くれぐれも新聞社にとって不都合のないようにして欲しい、と答えた。その後、新聞社が何を考えたかは知らない。またしばらく時間が経ったので忘れていたところ、今朝の河北に掲載された。
 今朝は大雨が予想されていたが、朝起きると意外にもかろうじて降っていない。いつ降り始めるか分からないし、降り始めたら歩いて駅まで行かなければならなくなるので、いつもよりも15分早く家を出た。この15分というのは、私が毎朝新聞を読むのに費やす時間である。そこで、私は新聞に目を通していなかった。学校に着いたら、K先生から、「平居先生、見ましたよ」と声をかけられた。それで私は、初めて掲載されたことを知ったのである(結局、今日1日で声をかけられたのはこの1回だけ。高校教員の新聞事情がよく分かる)。
 というわけで、今朝掲載されたものは、このブログの3月21日記事の類似品(短縮バージョン)に過ぎないのだが、せっかくなので、新聞に載った形で改めて公開しておくことにする。タイトルは、「エネルギー政策 『反対』の前に省エネを」となっていた。


 「東北電力女川原発2号機(宮城県女川町、石巻市)再稼働の是非を問う住民投票条例案が、3月の宮城県議会で否決された。市民団体が集めた11万あまりの署名に基づく直接請求を受けての議論である。
 昨秋、私も署名をした。しかし、署名をするに当たっては、いささかの葛藤があった。県や国のような巨大組織にあっては、間接民主制=議会制民主主義を取ることが合理的だとの思いがあるのと、住民投票にも膨大な費用がかかるからである。
 その一方、その署名に応じないことは、自分が原発の再稼働を容認しているような気がしたのである。従って、県議会が住民投票に応じなかったことについて不満はない。署名にも人それぞれ、いろいろな思いがある。
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 ところで石巻で一昨年、二酸化炭素排出について悪名高き石炭火力発電所が操業を開始した。聞くところによれば、近いうちにバイオマス発電所の建設が始まるらしい。廃材利用とはいっても、廃材がそれほどたくさん継続的に発生するわけもなく、一度運転を開始してしまえば、廃材が確保できなくても、廃材ではない資源を消費して強引に運転を継続することが予想される。
 そもそも、原発にしても石炭やバイオマスによる発電所にしても、現在の膨大な電力需要があるからこそ生まれてきたものである。
 しかしながら、原発の再稼働や、石炭・バイオマス発電所建設に対する反対の声をよく聞く割には、節電への呼びかけを耳にする機会は少ない。停電を避けようと思えば、発電量をやや過剰な状態にしておく必要があるのは当然だ。原発の再稼働も石炭・バイオマス発電所の建設も、そのような文脈の中で考えなければならない。
 あくまでも私個人の主観だが、今の日本人の生活はあまりにもぜいたくだ。これだけ温暖化が進行し、それによる可能性が高いといわれる異常な気象現象が頻発しているにもかかわらず、温室効果ガス排出と表裏一体の関係にあるエネルギー消費を抑えようという意識は希薄である。
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 果たして24時間営業の店はどうしても必要なのか?夏の炎天下でも、冬の冷え込んだ朝でも、温冷両方の飲み物が買える自動販売機が、なぜほれほど多量に設置されているのか?東京と名古屋を40分余りで結ぶというリニア中央新幹線が、どれくらいの電力を消費するか、人々は意識しているのだろうか?少なくとも宮城県の沿岸部の夏の暑さはエアコンがなければ本当に耐えられない水準だろうか?
 水素も電気がなければ作ることはできず、太陽光発電を始めとする自然エネルギーも石油消費の上にしか成り立たない。
 楽と便利と快適とを無節操に求めておいて発電所批判をするのは無責任であり、身勝手だ。電力消費を大幅に削減できれば、原発も石炭・バイオマス発電所も、おのずからその存在意義を失っていく。それが順序である。」