子供の日に「少子化」を考える

 5月5日は子供の日だった。新聞を開いても、あまり立派な特集記事を見ることはなかったが、そんな中で、河北新報が第2面に「子ども1533万人 38年連続減 少子化底なし」という記事を載せていたのが目を引いた。記事によれば、日本の14歳以下の子どもは、昨年より18万人減ったらしい。
 18万人と言えば、釧路や弘前といった地方の中堅都市がひとつ丸々消えて無くなる勘定である。ちょっと足して19万人となると、甲府鳥取といった県庁所在地の人口に達する。
 思えば、昨年12月だったか、日本の人口の自然減(死亡者数-出生者数)が、1年間で約45万人だったという報道があった。いま手元にその時の新聞記事がないのだが、確か、富山や長崎といった県庁所在地に匹敵する数であることが紹介されていた。外国人人口が増えているので、実際に減ったのはそのとおりの数ではないが、それを考慮せず、このままの人口減が続くと、50年ほどで1億人を切るということも・・・。1年間で富山市長崎市が消滅するほどの人口減が起きていながら、1億人を下回るまでに50年以上かかるということにむしろ驚いた記憶がある。
 河北の記事もそうだが、世の中の少子化に関する報道は、そのほとんどが「困った」「大変だ」「なんとかしなければ」という論調である。いや、「ほとんど」ではなく、「全て」と言っても過言ではないだろう。
 私が考えるに、少子化のメリットとデメリットは次のとおりである。これは今までに書いてきたことである(→参考記事)。

【メリット】
① 環境負荷が小さくなる(エネルギーを使わない=ゴミが出ない)。
② 食糧が確保しやすくなる。
【デメリット】
① 経済規模が縮小する(=借金返済の負担が大きくなる)。
② 人間がエゴイスティックになる。

 デメリットの2番目は、少子化によって引き起こされるデメリットではなく、むしろ少子化の原因である(上の参考記事参照)。メリットは極めて重要なもので、それに比べればデメリットは些細であるとも感じる。にもかかわらず、世間の論調がデメリット一辺倒であるのは、いかに経済=金だけが関心事であるかということをよく物語っているだろう。
 よく「持続可能な発展」ということが言われる。私は本当にそんなものがあるのかどうか懐疑的だ。実際、本当に持続可能であるためには、輸出入を完全にストップしても生きていけるということが大前提である。だが、石油や食糧の輸入を停止して、日本で生きていけるのは果たして何人なのだろうか?私は江戸時代の人口、だいたい3000万人くらいではないか、と想像している。今の約4分の1だ。それが「持続可能」な人間社会であって、「発展」が可能かどうかは知らない。少なくとも、現在「経済発展」という言葉で用いられているような、「消費を増やす」という意味の「発展」は不可能だろう。冷静に考えれば分かりそうなものだ。
 人間が生き延びるために、少子化は不可避である。どのような変化であっても、変化にはメリットとデメリットが表裏一体の関係で存在する。少子化が痛みを伴うのは当たり前だ。それでも、少子化の道を進まなければ、やがて日本という国は破綻する。世界の人口爆発の勢いに比べれば、世界最先端を走るという日本の少子化もまだまだ低水準だ。
 せめて「少子化は是か非か?」というような根源的な議論を、マスメディアは提起してほしいものである。