2000日!・・・人と競うな

 実は、このブログで記事を書いた日数というのが、今日で2000日目を迎えた。すごいっ!!毎日書いても5年半という途方もない数である。が、実は、必ずしも「2000日」は正しくない。
 記念日なので、少し振り返ってみよう。このブログがスタートしたのは、2009年12月23日である。その時の記事には、立ち上げの経緯がだいたい書いてあるし、その後、事情が変わったことなども補記してあるので、まずはそれをご覧いただきたい(→こちら)。
 要は、学級通信を公開せよという生徒の熱意にほだされ、当時私が机を置いていた生徒指導部室という所のPCで生徒に手取り足取りご指導いただきながら、最初の1ページをアップしたのである。
 ページを立ち上げた後に、学級通信のバックナンバーから相当数の文章を記事化した。その作業においては、1日に何本もの記事をアップしている。それらはバラバラに日数としてカウントされているかも知れない。すると、実際に書いた日数は2000より少ないということになる。また、このブログの記事が拙著『それゆけ、水産高校!』になった時に、元になった記事を全て削除した。それらの記事を書いた日数が履歴として2000に含まれているのか、削除した時点でそれらの分はゼロになったのか、それは分からない。また、管理画面を見てみると、記事を書いた日数が2000となっている一方で、記事の本数は2002となっている。同じ日付の記事が2本ある日が2日あるということである。私にはそんなことをした記憶がない。
 というわけで、暇な人はせっせとブログ内を捜索し、「2000」と「2002」についての真実を私に教えて下さい。
 毎日、私の授業を受けている生徒を上回る300~400人前後の方に読んでもらい、トラブルらしいトラブルもなく約10年が過ぎたというのはありがたいことである。もっとも、それによって何かの社会貢献ができた(社会に影響を与えた)という実感も皆無である。「学年だより」と同じで、自分が考えを整理し、考える材料として記録するという役割こそが大きいわけだから、誰がどこでどのような読み方をしているかについては、今後も意識することなく書いていければ、と思っている。
 さて、記念すべき2000日目には、やはり原点に関係する記事がいいと思い、昨日に続き、「Tr,平居の学年だより」(とは書いていないけれど)№7から引用する。


 入学時に示した「学年の指導方針」に「人と競うよりも、自分自身の努力と評価を大切にさせる」というのがあったのを憶えているだろうか?(憶えているわけないよなぁ) 今日はその解説。
 中国15~16世紀の思想家に王陽明という人がいる。その人の言葉を記録した『伝習録』という本の中に、「純金のたとえ」という有名な話がある。要点が分かるように思い切り簡略化し、言葉も分かりやすくして紹介する。

弟子:「聖人と言われている歴史上の偉人にも、大きな実力差があるようですが、なぜそれが等しく聖人なのですか?」
先生:「彼らがみんな純金だからだ。ただ、その量に違いがあるのだ。ある人は100㎏、ある人は70㎏、またある人は50㎏という具合だ。だが、不純物がないという意味では完全で、それこそが聖人ということなのだ。」

 残念ながら人間は不公平にできている。勉強をいくら頑張っても、誰でも東大に入れるわけではないし、スポーツでいくら努力したところで、誰でもインターハイに行けるわけでもない。当たり前のことだ。同時に、1番になれる人は1人しかおらず、誰かの順位が上がれば、必ず誰かの順位が下がる。
 だから、人と競争するのはつらいことであり、無理なことでもある。大切なのは、自分にできる限りのことをしているかどうか、自分の内側にある能力を十分に発揮させているかどうか、である。
 「敵は自分だ」という言葉は聞いたことがあるだろう。一流のスポーツ選手がよく言っているように思う。人間は誰でも弱い。常に楽をしたい、サボりたいと思っている。そんな自分と戦い、勝ち、努力できた人は「純金」である。そんな人が出した結果は、その人にとって100点。自分だけが自分を伸ばせる。ぜひ、自分自身の100点を目指して欲しい。