満映の女性編集者

 しばらく間が空いてしまった。また本の校正をしていたのである。ついに異例の5校。最善を目指すという編集者の執念に脱帽だ。この執念に私は救われた。この間にどれほど多くの問題点を発見し、訂正を重ねたことか。

 今回は索引と注の番号合わせ、地図の修正が中心の補足的なものであった。初校を携えて東京から編集者が石巻に来てくれたのが1月12日だから、延々5ヶ月も手直しめいたことをやっていたことになる。
 「出る、出る」と言いながら、なかなか出ない私の新著(→チラシ)は、延期を重ねて7月10日の発刊が決まった。既にAmazonでも予約を受け付けていたりするので、おそらくもう動かない。

 

(以下、6月14日付「Tr,平居の学年だより№9」に手を加えたもの。)

 私は毎日、石巻と塩釜の間を電車で通っているが、最近、何ヶ所かで実った秋の田んぼのような光景を見ることができる。麦だ。そう、今は「麦秋」なのだ。季節感のある美しい言葉である。電車の窓からのんびりと眺める風景は、四季折々に変化があって飽きることがない。ずっとスマホの画面を見つめている若者たちを見ながら、もったいないなぁ、と思う。

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 私はこのプリントの裏面に、新聞記事を貼り付けることが多い。諸君に学ぶきっかけを与えるためだ。新聞は、情報の信頼性、簡潔性、俯瞰性(世の中の様々な問題をざーっと把握できること)、デザイン性において優れた最強のメディアである。それが月極で取れば1部100円ちょっと(駅やコンビニで買うと150円)というのだから、コストパフォーマンスを考えると、価値は更に上がる。
 3年生の夏休み前後、就職や進学の面接、小論文対策としてにわかに新聞を手に取る人をよく目にするが、愚かな話である。健全な大人になる気があるのなら、今のうちから新聞には日々目を通す必要がある。
 私はたいてい1日に3紙、多い日だと5紙に目を通す。読むときは後ろからだ。最終頁(テレビ欄)をめくると、そこは「3面記事」。かつて新聞が二つ折りにした1枚の紙だった時代の名残の呼称だ。私はそこの「訃報」をまず見る。1人の人間が生涯を終えるというのは、それだけである種の感慨をもたらすものだが、まして一般紙に訃報が載るほどの人であればなおさらだ。とは言え、新聞社の情報網は偉大なので、「著名人」だけではなく、ほとんど名前を知られていないが、実は数奇な過去を持つという人が取り上げられることも少なくない。私は、小さな訃報を前に、歴史や人間の生き方について思いを巡らせるのが結構好きだ。
 さて、先週の金曜日、「岸富美子(享年98)」という人の訃報が載った。全然知らない人だったが、記事には次のようにある(実際には、この前の部分も含めて記事貼り付け)。

「戦前から日本で映画の編集に携わり、39年に旧満州に渡り満州映画協会(満映)に入社。敗戦後も中国にとどまり、国民的映画『白毛女』などの編集者として、中国映画の草創期を支えた。日本人が製作に貢献した事実は伏せられ、05年までは『安芙梅』という中国名で記録されていた。共著に『満映とわたし』」

 う~ん、これはなかなかのドラマだな、と想像が膨らむ。
 本が出ているらしい。土曜日、私はたまたま仙台に出る用事があった。仙台で書店に入るとその本があったものだから、買って読んでみた(石井妙子と共著『満映とわたし』文藝春秋、2015年。共著とあるが、実際には岸富美子さんの著書と言ってよい)。想像を絶するすさまじい体験の持ち主である。時代に振り回されながらも、最善の人生を歩みたいという意志を持ち、ひたむき誠実に生きた時、人は立派な仕事ができるものなのだな、と感銘を受けた。小さな小さな新聞記事にいい勉強をさせてもらった。合掌