ショスタコーヴィチ(3)

 先日、我が家の庭の生ゴミを捨てている場所からカボチャの芽が出て、勢いよく伸びているという話を書いた(→「ショスタコーヴィチ(1)」冒頭)。いつになったら花が咲くのかなぁ、と思っていたところ、3日くらい前から咲き始めた。特に予定のない今日、朝起きたら、居間から最もよく見える場所に見事な花が咲いていた。カボチャの花ってこんなに美しいんだっけ?と感心しながら見とれていた。鮮やかでありながら落ち着いた、本当にきれいな山吹色である。
 ところが、この花が午後2時頃までにはしぼんでしまった。咲いていたのはわずか半日。それでいてちゃんと受粉が行われているとすれば、これまたすごいことだな、と思う。やはり自然は偉大である。

 この1ヶ月ほどショスタコーヴィチを聴いているというのも、既に書いたとおり。我が家にあるショスタコーヴィチのCDコレクションなんてたいしたことないので、せめてそれを全部聴き終えたら何か書こうと思っていたが、意外にキリがなく、終わりが見えてこないので、もともとのきっかけであった交響曲第8番についてだけ書いて終わりにしようという気になった。室内楽を始めとするその他の曲については、いずれ気が向いたら触れることにしよう。
 ショスタコーヴィチ交響曲は、大きな編成のオーケストラがあまりにも高密度に音を発するため、安物のスピーカーで聴くことには無理がある。マーラーブルックナー以上に録音に馴染まず、ライブでこそその真価が発揮される音楽であると思う。
 今回の記事の発端となった交響曲第8番を、私が初めて聴いたのがいつかは分からない。しかし、実質的に初めて、すなわち、鮮明に印象に残っているのが、仙台フィル第198回定期演奏会(2005年1月)での梅田俊明指揮による演奏だったことははっきりしている。それが一般的に見て名演であったかどうかは知らない。ライブでこそのショスタコーヴィチという、前段のような事情の反映であるようにも思われる。それは正に衝撃的な音楽だと感じられた。
 ハ短調で、暗く重厚な弦の和音が、上昇音を基調とする第5番を思い出させるような旋律を奏でるところから曲は始まる。沈鬱で、しかも全曲の半分近い時間を占める第1楽章が終わると、強烈な推進力を持った絶叫調の第2楽章に突入する。第3楽章は更に強烈だ。ヴィオラによって慌ただしいアルペジオが刻まれる中で、クラリネットを主とする木管楽器の長く甲高い音が入り込んでくる。初めてこの部分を聴いた時、私は作曲家が発狂直前の状態にあると感じた。背筋に冷たいものが走るほどの切羽詰まった雰囲気である。
 おそらく、作曲者は発狂せずに済んだ。しかし、意識を失ったか、幻覚の中に落ち込んだかであろう。第4楽章は幻想曲風の変奏曲(パッサカリア)である。延々と繰り返されるコントラバスの定旋律は、肩で息をする作者のあえぎを表現しているかのようだ。第5楽章では、調がようやく長調に転じ、ほのぼのとしたファゴットの歌を始めとして、チェロやヴァイオリンが明るい旋律を奏でたりもするが、曲の途中で第1楽章が回帰するなど、どうしても明るくなりきれない。むしろ、混沌というか、混乱を表すように、様々な曲想が後から後から姿を現すところに、作曲者の鬱屈と不安定とが表れているようである。
 いささかの誤解を恐れずに言えば、曲の構造が分かりやすく、メロディーやリズムも明解で、楽しく聴くだけなら第5番の方が絶対にいい。グロテスク調で、ホンネとタテマエの分裂をわざとらしく取り繕っている感じが、いかにもショスタコーヴィチらしいとも言える。だが、第8番はもう取り繕うことができる限界を超えてしまい、ホンネ(権力に対する反感と恐怖)が隠しようもなく流出しているように聞こえる。私の「大好きで大嫌い・大嫌いで大好き」なショスタコーヴィチの姿そのものだ。当初、それが許されたのは、人びとがショスタコーヴィチのホンネに気が付かず、タテマエ(=独ソ戦争の受難と抵抗)で受け止めるからに他ならない。
 ショスタコーヴィチ自身は、この曲をたいへん気に入っていたようだ。1936年に完成しながら、政治的批判の対象となることを恐れて初演を行わずにいた交響曲第4番を、1961年になってようやく初演する決断をした時、ピアノによる第4番を聴いて、レヴェジンスキーに「交響曲第8番よりももっといい出来だ」と語ったことが伝えられている。このことは、1961年以前に書かれた彼の作品(交響曲で言えば第11番まで)の中で、交響曲第4番を除くと第8番が最も優れた作品であると認めていたことを意味する。また、ショスタコーヴィチは、この曲について次のように述べている。

「第8交響曲の内容の根本にある思想をごく短い言葉で言い表すならば、『人生は楽し』である。暗い陰鬱なものは全て崩れ去り、美しい人生が今や開かれつつある・・・。」

 これは誰が読んでも違和感を持つコメントだ。『名曲解説全集』などでこの曲の解説を書いている戸田邦雄氏は、「実際のところ、この曲の内容は作者自身がそういうほど『人生は楽し』であるとも思われない。この発言はなんとなく『社会主義リアリズム』の要請である『芸術は究極において楽観主義的・人生肯定的なものでなければならない』というテーゼの公式的な繰り返しのようにもきこえる」と言う。そのとおりである。おそらく、嘘でも何でも上のように言っておけばとりあえず納得する人々がいて、そう言わざるを得なかったのだろう。
 作曲・初演から5年後の1948年、第8番はソ連当局による上演禁止作品に指定された。こんな抽象的な器楽曲が、政治的に禁止されるというのは今更ながらに驚きである。
 「好き、好き」と言いつつ、我が家にはこの曲の録音が3種類しかない。ムラヴィンスキー、アルヴィド・ヤンソンスハイティンクによるものだ。ハイティンク+コンセルトヘボウの演奏が圧倒的によい。この曲の決定版と言ってよいだろう。他の2種類に比べ、この曲の悲劇性を表現すること際立っている。ムラヴィンスキーの妙に牧歌的な演奏を聴いていると、『ショスタコーヴィチの証言』に書かれた「あるとき(中略)指揮者ムラヴィンスキイがわたしの音楽をまるで理解していないのを知って愕然とした」という言葉が、ショスタコーヴィチの妻・イリーナによって否定されたはずであるにもかかわらず、いかにも本当らしく思われてくる。
 私はショスタコーヴィチが本当に「大好きで大嫌い・大嫌いで大好き」である。難解ではあるが、「怖いもの見たさ」のように、その音楽に向かいたくなってしまう。最良の作品が何かはよく分からないけれど、その見たくなるような「怖さ」において、やはり第8番は秀逸だ。改めてそう思った。(一応終わり)