「一つのメルヘン」(1)

 今、1年生で使っている「国語総合」の教科書に、中原中也の「一つのメルヘン」が載っている。もう一人の担当者(凡庸な国語教員ではなく、私が20年以上にわたって尊敬している大先生。既に定年退職されたが、今年講師で来てもらっている)と相談したが、この詩を授業で扱うのは無理がある、ということになった。意見が一致しての結論なのだが、かと言って、この名作を読んだことがないまま大人になるのももったいないなぁ、と思ったので、私はわずか15分で扱うことにした。
 明治以降の日本の詩人の中で、1000年後に「古典」として読まれているとしたら・・・私が第一に名前を挙げたいのは中原中也だ。宮沢賢治も、高村光太郎も、萩原朔太郎も、そこまで言い切るだけの自信はない。そして「一つのメルヘン」は、その中也の作品の中でも、特に優れた作品の一つだろうと思っている。まずは、全文を引用しておこう。

 

秋の夜は、はるかの彼方に、
小石ばかりの、河原があって、
それに陽は、さらさらと、
さらさらと射してゐるのでありました。

陽といっても、まるで硅石か何かのやうで、
非常な個体の粉末のやうで、
さればこそ、さらさらと
かすかな音を立ててもゐるのでした。

さて小石の上に、今しも一つの蝶がとまり、
淡い、それでゐてくっきりとした
影を落としてゐるのでした。

やがてその蝶がみえなくなると、いつのまにか、
今迄流れてもゐなかった川床に、水は
さらさらと、さらさらと流れてゐるのでありました・・・

 

 この詩が発表されたのは、1936年(昭和11年)11月。中也は翌1937年9月24日に彼の第2詩集『在りし日の歌』の清書を終え、小林秀雄に出版を托すと、間もなく結核性脳膜炎を発病して入院。10月22日にあっけなく死んでしまった。「一つのメルヘン」は『在りし日の歌』の後半「永訣の秋」という章に収められ、中也の死んだ翌年4月、小林秀雄の尽力によって改めて世に出た。私には、「辞世」と言ってもよいように思われる。
 用いられている言葉は極めて平易だ。高校1年生が知らない言葉と言えば、せいぜい「硅石」くらいだろうが、その「硅石」は教科書に脚注が付いている。にもかかわらず、生徒に問えば、誰もが「何を言っているのか分からない」と答えるだろう。
 論理の世界で考えるなら、まったくデタラメな詩である。第1連、「秋の夜」と言いながら、そこに日が射しているというのは何事か?!第2連、日が音を立てて射し込んでくるわけがないではないか!第4連、そもそも蝶の役割が不明だし、川に突然水が流れ始めるというのはどういうことだろう?。しかし、言うまでもなく、それらは単なる「いちゃもん」である。作者の目指すものはそんなところにはない。
 言葉の一つ一つは、おそらく言葉どおりの意味では機能していない。だが、全体を読んだ時に、間違いなく心の中に何かしらの感情が湧き起こってくる。作者が私たちに伝えたかったのは、そのような感情なのだと思う。つまり、この詩における言葉というのは、器楽曲における楽器の音と同じである。ハ長調のⅠの和音、ドミソを鳴らすと、素直で明るいイメージが心の中に湧き起こる。その真ん中の音を半音だけ下げて、ドミ♭ソにすると、ハ短調のIの和音となり、暗く深刻なイメージが心の中に湧き起こる。ド、ミ、ミ♭、ソという一つ一つの音に、明るい、暗い、素直、深刻といった意味が予めインプットされているわけではない。ただ、なんだかよく分からないけれど、それらの組み合わせによって、私たちの心はいろいろなさざめき方をするのである。高村光太郎も、次のような言葉を残している。

 「(詩では、)実は言語の持つ意味が邪魔になって、内部に充ちてくる或る不可言の鬱積物の真の真なるところが本当は出しにくいのです。バッハのコンチェルトなどをきいてひどくその無意味性をうらやましく思うのです。」(「詩について語らず─編集子への手紙─」1950年。『高村光太郎全集』第8巻所収)

  楽器の音と同じことを言葉によってするのは難しい。必ずや人は、言葉の意味に拘泥するからである。思うに、「一つのメルヘン」などという詩は、無数にある詩作品の中でも、最も音楽に近いものである。したがって、鑑賞する時には、言葉の意味を明らかにし、その組み合わせによって作られる「意味」を、論理的、理知的に追い求めてはいけない。言葉の意味の響き合いを感覚的に「音」として捉え、自分の心がどのように波立つのかをじっくり見極めようとするしかないのだ。
 このような詩を「象徴詩」と言うのではないのだろうか?安直に『広辞苑』で「象徴詩」を引けば、次のように書かれている。

「象徴派の詩。音楽的・暗示的な形で、直接つかみにくい内容を表現する詩。」

「一つのメルヘン」そのものではないか。ところが、不思議なことに、確認しようと思ってネットで検索してみても、「一つのメルヘン」を象徴詩として扱っている記事にはお目にかかれない。中也が傾倒していたボードレールヴェルレーヌランボーといったフランスの詩人たちは象徴派の詩人として扱われているのに、中也をそのように位置付けている文章も探せない。(続く)