「一つのメルヘン」(3)

 この詩には、文体の問題もある。「~でありました」「~でした」という丁寧語は、独特の雰囲気を作り出している。この事に言及する人は意外に少ない。音楽性の創出(岡井隆)、物語性(指導書)といったあたりを見出すことができるだけである。
 私は二つの可能性を考える。一つは「指導書」に近いが、メルヘンの雰囲気を出すということである。(1)で書いたとおり、題で「メルヘン」と言うのは、中也の「はぐらかし」であって、中也が本気で単なるメルヘンとしてこの作品を書いたと、私は思っていない。だから、丁寧語がメルヘンチックな雰囲気を生むとなれば、それは「メルヘン」を演出するための小道具に過ぎない。
 もうひとつは、それらの言葉の中に諦念が感じられるということである。つまり、「~であった」「~だった」とするのに比べると、妙にしっとりとした哀感が漂うのであって、それを私は「諦念」と感じる。それは、昨日(2)に書いたことからすれば、取り返しのつかない過去に対するあきらめと言ってよいだろう。
 「一つのメルヘン」が収められた詩集『在りし日の歌』の「永訣の秋」という章には、同様の丁寧語を用いた詩として「春日狂想」という詩が収められている。ごく一部だけを引く。

愛するものが死んだ時には、
自殺しなけあなりません。
(中略)
愛するものは死んだのですから、
たしかにそれは、死んだのですから。

もはやどうにも、ならぬのですから。
そのもののために、そのもののために。

もちろん、丁寧語を用いた詩は、これら二つだけではないにせよ、そこに共通するものは「諦念」なのである。
 最後に、この詩の寓喩性について考えておこう。
 「一つのメルヘン」第1連と第2連で、「さらさらと」というオノマトペは、陽=光と結びつけられているが、第4連では水の流れと結びつけられている。転換点となる第3連に登場してくるのは蝶だ。乾いた日の光→蝶→水の流れという文脈には、明らかに何かの意味がある。いくら中村稔が「蝶がどんな象徴であるか。蝶が去った時、水が流れだすとは、どういう寓喩であるか。そうしたせんさくほど詩の鑑賞にとって無意味なことはない」と言ったとしても、私にはそれが、合理的な解釈ができない者の「言い訳」、あるいは「逃げ」であるように思われる。私がこの詩を象徴詩と考え、言葉の意味にこだわることの危険を言ったとしても、この「乾いた日の光→蝶→水の流れ」という展開についてだけは、何かしらの意図(寓喩性)を認め、解釈というものに挑まないわけにはいかないだろう。
 例えば、大岡昇平は「異教的な天地創造神話」と言い(『在りし日の歌』、『新潮』1966年1月号)、岡井隆は視覚から聴覚への転換とのみ解する(『國文學』1977年10月号)。吉田凞生は「〈蝶〉は宇宙の元素である〈光〉を〈水〉に置換する」と解き(『評伝中原中也』東方選書、1978年)、関良一は「非連続的な連続を通して、生の純粋持続あるいは宇宙の永劫回帰のような形而上的想念が表現されている」と言う(『近代文学注釈体系・近代詩』有精堂出版、1963年)が、いずれもわけが分からない。大塚常樹が「死の河原は一匹の蝶の飛来という魔法によって生命の河原に変化した、あるいは生命を取り戻した」と解く(第一学習社『国語総合』指導書)のは、比較的説得力を持つように思う。太田静一の「男『性』を受ける場合の女の『性』のありようを象徴した風景」であり、「素材的に言えば露骨な媾合風景という他はない」という解釈(朝日新聞1998年2月25日。本もいろいろ出ているようだが未見)は、是非はともかくユニークである。私の手元にある中原関係の資料は古い(ほとんどが20世紀)ので、もしかすると若い世代の研究者から、もっと優れた読み解きが提案されているかも知れない。
 私自身は、蝶を「女」と解するしかないと考えている。太田静一のように生々しく肉体的には読まないが、一時的に現れ消えた存在が、積極的・動的な方向に何かを大きく変えたとすれば、それを中也の人生に重ね合わせてみれば、女=長谷川泰子しかいないだろう。一時的に現れて消えたということだけ考えれば、富永太郎もまた思い浮かぶが、富永が中也にそれほど大きな影響を与えたとも思えないし、富永の死後10年以上も経ってから、中也が富永を感傷とともに思い出すとも思えない。
 つまり、ずいぶん長々と書いてきたが、「一つのメルヘン」という作品は、長谷川泰子の存在によって何かしらの変化をした自分の人生を抽象的に描いた作品だが、決してそのような人生の解説ではなく、そのことを思い出した時に心の中に湧き起こってくる強い哀しみを、直接読者の心の中に感じさせようという作品だ。あくまでも現時点でだが、私はそのように読んでいる。(完)