中村稔『高村光太郎の戦後』をめぐって

 先週土曜日の朝日新聞の書評で、中村稔『高村光太郎の戦後』(評者:石川健治青土社)という本を見つけた。その直後に仙台市内の書店に行ったらあったので、この3日ほどかけて読んだ。
 昨年、中村稔『高村光太郎論』(青土社、2018年7月)については一文を書いた(→こちら)。その続編とも言うべきものである。昨年も91歳の中村氏のエネルギーに驚嘆していたのに、それからわずか1年で、さらに477ページもの本が書けるというのは、驚嘆に驚嘆を重ねても足りないくらいの偉業である。
 中村氏は「前著以後、前著における『典型』についての評価をつきつめて考えた結果、かなりに評価を改めているので、通常言われる意味での続編ではない」と断る。果たして「続編」であるかどうかはどうでもいいことである。『高村光太郎論』によって自らの高村理解をまとめた結果、戦後の部分に違和感が残り、その解決を図った結果『高村光太郎の戦後』が生まれた、ということである。
 中村氏は、茂吉と光太郎の戦後、もう少し具体的に言えば、茂吉の歌集『白き山』と光太郎の詩集『典型』とを比較することを通して、光太郎という人間の特質を明らかにし、『典型』を読み直してゆく。そこで明らかになるのは、光太郎の凜とした高潔な生き方と、茂吉の俗臭紛々として卑しい生き方の違いであり、それに伴って作品への評価も変化したようだ。手っ取り早く、中村氏自身によるまとめの部分を引こう。

「かつて私は『白き山』はすぐれた歌集であり、『典型』は貧しい詩集であると考えていた。いま読みかえして、『白き山』には相当数の秀歌を収めているとはいえ、凡庸な作が多く、さしてすぐれた歌集とは考えない。逆に『典型』には心をうつ作品がいくつか確実に存在すると考える。『白き山』は作者と自然観照があり、自然と対峙する作者が存在するが、他に誰も存在しない。社会性のない、狭い世界しか示していない。これは大石田の彼の生活の在り方の反映といってよい。それに、壮年期あるいは青年期の彼の作品にみられたような、緊迫し、充実した迫力が乏しい。『典型』に収められた作品には、確かに弁解が多いけれども、比較的にいえば宇宙的広い世界と永遠の時間の中の人間の生がうたわれていると私はいま考えている。
 どちらがすぐれているか、を論じることは意味がない。詩形式が違うし、個性も違う。しかし、どちらかといえば、私は現代詩を久しく書き続けてきたためでもあろうが、どのように生き、どのように詩を書いたか、を考えて、斎藤茂吉よりもはるかに高村光太郎に共感すること多い、と感じている。」(398頁)

「どちらがすぐれているか、を論じることは意味がない」と書いたのは、ある種の責任回避である。本文をずっと読んでいけば、中村氏は、明らかに『白き山』より『典型』を評価しているのだが、それは、上でも書いたとおり、彼らの生き方そのものへの評価でもあった。
 中村氏は、光太郎が戦後7年間にわたって山間のぼろ小屋に住んだのは、後に光太郎が言ったような、戦争責任に基づく「自己流謫」ではない、と言う。光太郎の山小屋暮らしは、あくまでも自然豊かな場所で、「日本最高文化の部落」を作りたいという光太郎の「夢想」によると考えている。しかし、一方で、次のようなことを書いている。

「(詩「典型」について)弁解が多いとしても、これほど真摯に半生を回顧して、しみじみ私は愚昧の典型だと自省した文学者は他に私は知らない。」(160頁)
「このように反省した光太郎が例外であって、戦争に協力した文学者で、戦時下の行動を自省した文学者は斎藤茂吉に限らず、誰もいなかったのである。」(316頁)

 つまり、詩集『典型』に収められた詩を読み込んだ結果として、そこには戦時中の自分の行動についての真摯な反省が見られると、中村氏も認めているのである。戦時中の自分についての真摯な反省が存在しながら、山小屋での生活が「自己流謫」ではないというのはどういうことか。私はそこに矛盾を感じる。
 それはおそらく、中村氏が、光太郎が山小屋での生活を始めようとした時の言葉ばかりを根拠として、山小屋暮らしの意味を考えているからである。住み始めた時の意図が、その後7年にわたって継続したという保証はない。むしろ、「日本最高文化の部落」を作るという目的が果たせないことを知り、終戦から時間が経ったという事情の変化の中で、光太郎の山小屋暮らしは、その目的をも変化させていったのではないか?そしてその生活を「自己流謫」と位置付けるに至ったのではないか?
 それでも、吉本隆明がかつて喝破したように、光太郎は本心を語らない詩人である。山小屋暮らしの目的が那辺にあったのか、私もかつて『「高村光太郎」という生き方』の中で、戦争責任と、その背後にあった自我の挫折についての反省ということを指摘してはいるのだが、果たしてそれが本当であるかどうか、断言にはためらいがつきまとう。