苦闘、南アルプス(2)

 「梅雨明け10日」に南アルプスに行くぞ、と言ってみたところで、それが一体いつなのかというのは自然の気まぐれであって、私の都合とは関係がない。おそらくここだ、と思った7月末の週(7月28日~)が、本当に「梅雨明け10日」になるかどうかは保証の限りではないのである。
 そうこうしているうちに台風6号が発生しそうになった。梅雨前線もほとんど消えているし、この小さな台風が通過した後が、一気に夏本番になるだろうと確信したが、週間予報を見ると、確かに「晴れ」が続くことになってはいるものの、大気の状態が不安定で、毎日雷マークも付いている。梅雨明けに言及している記事も見つけられない。とは言え、将来のことをいくらあれこれ考えてみても仕方がないので、台風の通過待ちで1日延ばし、28日に出発、29日から登ることにした。
 結果として、私の読みはだいたい当たった、と言ってよい。広河原から数えて山中で6晩を過ごし、そのうち4晩は夕方以降雨に降られた。特に北岳山荘では雷を伴ったたたきつけるような土砂降りで、テントに雨が突き刺さってくるものだから、本当に久しぶりでテントの中で傘を差したりもしたが、連日午前中は快晴と言ってよいほどの好天に恵まれた。日射しが強くて暑さに苦しんだ、というのは贅沢な世迷い言である。北岳以南の主脈だけではなく、谷向かいの仙丈ヶ岳鳳凰山、更には富士山や中央アルプスの山々をも眺めながらの、これ以上ない山歩きが堪能できた。
 天気が悪ければいつでも下山、などと言いながら、結局予定どおりの山行ができたのは、自分自身の体力や生活力の問題もともかく、この天候による。さて、どんな山行だったかを語るために、少しデータを示しておこう。
(各日の後ろの括弧は、その日の累積標高差=登りと下り=算出方法は煩瑣なので説明省略。ヤマケイアルペンガイド付属の地図に書かれた標準コースタイム=これがどのようなものかは昨日の記事参照、私のコースタイム=標準コースタイムと比較するために休憩時間を引いた実際の歩行時間。私のタイムと標準タイムとの差=マイナスは私の方が短く、プラスは長い。)

7月29日(月)広河原4:10→北岳→11:30北岳山荘
(+1710m、-210m。6h55m、5h42m。-1h13m)
7月30日(火)北岳山荘4:45→5:55間ノ岳6:05→7:20熊ノ平7:45→12:35塩見岳12:55→13:45塩見小屋
(+1220m、-1330m。10h50m、7h20m。-3h30m)
7月31日(水)塩見小屋4:40→7:10三伏峠7:37→8:18烏帽子岳8:25→9:35小河内岳10:00→13:30高山裏避難小屋
(+1020m、-1370m。8h25m、7h34m。-51m)
8月1日(木)高山裏避難小屋4:45→8:05荒川中岳→11:45赤石岳11:50→14:05百間洞山の家
(+1190m、-1120m。8h、8h05m。+5m)
8月2日(金)百間洞山の家4:30→6:35兎岳6:45→9:45聖岳10:00→12:05聖平小屋
(+1230m、-1450m。6h10m、6h30m。+20m)
8月3日(土)聖平小屋5:00→8:45聖岳登山口8:50→9:30椹島ロッジ
(+570m、-1700m。4h40m、4h10m。-30m)

 このデータから見えてくるものは何か?
 一つ目は、毎日の上り下りの激しさである。基本的に連日1000mを大きく超える標高差を上り下りしている。東北に住む人間の感覚だと、例えば飯豊連峰にしても朝日連峰にしても、あるいは北海道の大雪・十勝にしても、稜線に登る初日は大変だが、登ってしまえばアップダウンは小さく、気持ちのよい尾根歩きが楽しめる、というものである。ところが、南アルプスはまったく違っていた。
 確かに、ガイドブックには南アルプスの特徴として、「距離や高低差がとりわけ大きい」と書かれている。しかし、東北の山のイメージにとらわれていた私は、それを実感として予想することができなかった。現地へ行ってみて初めて、私は勝手が違うことに気付いたのである。

 この高低差は本当にこたえた。200m前後の上り下りの繰り返しも辛かったが、2400mか2500mまで下って、目の前に3000~3100mの大きな山を仰ぎ見るのはひときわである。ほとんど絶望的な気分になった。
 ちなみに、全行程の累積標高差を求めると、約+6900m、-7200mとなって、ネパールヒマラヤのマチャプチャレに海岸から登って下りるに匹敵する。
 二つ目は、私自身のペースが、後へ行くほど落ちていることである。2日目の標準コースタイム-私=-3h30mなどというのは、我ながらペースの速さに驚く。私が25㎏近い荷物を担いでいた等、コースタイム算出の条件との違いを考えると、驚きはなおのこと大きい。ところが、4日目、5日目になると、私の方がコースタイムについて行けなくなっている。私は平地でも歩くのが非常に早い(食べるのも速い、話すのも速い=笑)。だから、コースタイムについて行けないというのは異常事態で、過去にほとんどその記憶がないほどである。
 そうなった理由は二つある。一つは暑さと精神的な疲労の蓄積だ。延々と繰り返される数百mの上り下りにうんざりしてきたのである。2500m、あるいは3000mを超えると、空気の薄さも消耗を増すのが実感できた。もう一つ、もっと深刻だったのは、靴擦れだ。履いていった靴が、あまり相性のよくないものであることは事前に分かっていたが、1泊か2泊の山行なら、特にトラブルを起こすこともなかったので大丈夫だろう、と思っていた。それが3日目が終わる頃には決定的なダメージになってきたのである。自分なりに最大限の処置をしたにもかかわらず、4日目以降は、ひたすら歩き方を工夫しながら痛みに耐える不愉快な状態に陥ってしまった。コースタイムとの関係で6日目が回復しているのは、下りが多くて靴擦れのひどいかかとに負荷がかからないのと、やっと終わりだ、という安心感によるだろう。
 稼がなければならない標高が最も大きいのが1日目、距離的に最も長いのが2日目、だから最初の2日間を乗り切れば後は楽になる、という事前の計算は机上のものに過ぎず、毎日、いや、むしろ後へ行くほど厳しかった。(続く)