苦闘、南アルプス(6)

【地図】

 私は何事においても原理主義、「基本こそ全て」の人間である。山に何を持って行くかについてもその通りだ。地図とコンパスを持たずに山に入るなんて、絶対にありえない。
 もちろん、今回も地図を持参はしたのだが、なんとアルパインガイドに付いていた地図を切り取ったものだけである。縮尺は85000分の1。縮尺が小さい上、色が濃くて等高線が見えにくく、道に迷ったときに使えるかと言えば、「無いよりはまし」というレベルだろう。かつて50000分の1地形図を持って山に入ったことはあるが、ここまで縮尺の小さな地図しか持たなかったのは初めてである。
 なぜこんなことになったかと言えば、歩く領域が広すぎたからである。現在標準となっている25000分の1地形図を持とうと思ったら、なんと7枚になった。昭文社で出している、現在最もポピュラーな山岳地図「山と高原マップ」でも2枚にまたがる。テントやら1週間分以上の食糧を持って、ただでさえも重い荷物に、いくらただの紙とは言っても、これ以上の物を増やすのは願い下げだった。いやしくも南アルプスである。道標はそれなりに整備されているだろう、夜中にでも歩くのでなければ道に迷うことはないのではないか?いや、夜中に歩くとしても、周りが見えなければ地図の使いようもないのだから、結局持っても仕方がない。というわけで持たなかったのである。
 結果として、予想どおり、遠景を確かめる以外に、どうしても地図が必要だという場面はなかった。しかし、一方で、自分が歩いている場所の状態を、地形図で確かめてみたいという衝動は持ち、それは帰宅した今も続いている。
 目の前に見えている情景を、地形図で確かめないと安心できないというのは、なんだか頭でっかちな発想だと思う。思えば、このブログの記事を読んでもらっても分かると思うが、我が家にはどう考えても私自身は演奏に参加しないような曲の楽譜がたくさんある。それらの楽譜を買ったときの衝動も、今回、何も困らなかったのに、やはり地形図が欲しいと思う気持ちもよく似ている。音楽は耳で聴いて、それだけで判断すればいいのに、聴いた音楽がなぜそのような響きになるのか、楽譜で確かめ、考えてみないと気が済まない。
 山で地図がない物足りなさを感じ、下山後に25000分の1地形図を買って、自分が歩いたルートを改めて確認してみよう、などと思いながら、そんな頭でっかちな自分の性質にちょっとした恥ずかしさを感じていたのであった。

 

トランスジャパンアルプスレース

 高山裏避難小屋は、(4)で書いたとおり、宿泊者がほとんど居らず閑散としていた。管理人はひどく話し好きな人であった。日が暮れるまで特にすることもない午後、宿泊者と管理人が小屋の前のテーブルを囲んで、四方山話に花を咲かせた。
 きっかけをよく憶えていないのだが、話がふと「トランスジャパンアルプスレース(TJAR)」に及んだ。TJARとは、富山県の早月川河口(海抜ゼロメートル)から静岡県大浜海岸(海抜ゼロメートル)までの415㎞、日本アルプスを縦走しながら(累積標高差27000メートル!)8日間以内に駆け抜けるという、世界で最も過酷な山岳レースである。2002年に始まり、2年に1回ずつ(偶数年)8月に開催されている。高山裏避難小屋は、そのコースの途中に位置している。
 私はこのレースのことを、数年前にNHKで放映されたドキュメンタリー番組で知り、その後、NHKのディレクターが書いた本(『激走!日本アルプス大縦断』集英社文庫、2016年=著者は個人名ではなく、NHKスペシャル取材班となっている)で読んだ。
 この過酷なレースは、出場するだけでも非常に大変だ。

・TJAR大会を想定した長時間の行動後、標高2000m以上の場所において2回以上のビバーク(不時露営)体験があること。
・コースタイム20時間以上の山岳トレイルコースを、コースタイムの55%以下のタイムで完走できること。
・フルマラソンを3時間20分以内、100㎞マラソンを10時間30分以内に完走できること。

 これら主要3条件(他にもあるが省略)を満たした人が予選会に参加し、体力のみならず、山での生活技術に関する実技審査、緊急時対応などについての筆記審査を受け、全てをクリアーして初めて出場が認められる。毎回の出場者は30人弱だ。
 この精鋭たちが、自己責任、絶対に人に迷惑をかけない、という基本理念に則った厳しいルールの下で競争する。当然、最低限の荷物(5~6㎏)は持たなければならない。8日間という制限時間には、睡眠時間も含まれるし(←これが特に厳しい)、いくら山岳レースとは言っても、コースの半分以上は平地の舗装道路を走る。登山道は登山道で、夜に通過するというのが信じられないほど危険な箇所も多い。南アルプスから下山した後で、まだ海岸線まで85㎞(フルマラソン2回分、しかも、真夏の静岡県)というのは恐ろしい。
 ま、このレースそのものについて、あまりだらだらと解説をするわけにはいかない。
 何が言いたいかというと、今回南アルプスを歩いてみて、改めてこのレースの過酷さ、選手の偉大さが実感できた、ということだ。
 TJARでは、この時刻までにここを通過できなければ失格という「関門」が4箇所設定されている。その中で、今回の私の山行との関係するのは、三伏峠(制限=スタートしてから6日9時間)、畑薙第1ダム(同7日0時間)である。つまり、制限時刻ぎりぎりで三伏峠にたどり着いた場合、そこから15時間で畑薙第1ダムに到達しなければならない。私は、畑薙第1ダムではなく、聖岳登山口に下りたので、TJARのコースに比べれば、山岳地図の標準コースタイムで、3時間30分ぶん短いコースを歩いているのだが、それでも三伏峠~登山口で歩行27時間+3泊=約73時間かかっているのである。途中に3000m峰が3座、2500m峰が10座ある。それを15時間以内とは!!!・・・
 TJARの英雄は、2010年~2016年まで4連覇を成し遂げ(2018年は7位だったが無補給完走!)、TJAR記録(4日23時間52分)保持者の望月将悟(静岡市消防局勤務)である。山の世界ではかなり(=私でも知っている程度に)有名な存在になっている。
 面白い話を聞いた。ある時、遭難救助の要請があったので、静岡県の山岳救助隊員が救出に向かったそうである。遭難者の所にたどり着いたとき、遭難者の第一声は「望月さんですか?」だった。救助隊員が「違います」と言うと、遭難者は「なぁ~んだ、望月さんじゃないのか」と言ったという。救助隊員は激しく憤った。
 本当かどうかは確かめられない。仮に嘘だったとして、それは英雄だけが生むことのできる「伝説」である。
 彼の存在の大きさもあってTJARは有名になった。今やこのレースを見るために集まってくる人も相当数いるらしい。高山裏避難小屋にも、彼らの通過を見るためにやって来る人がそれなりにいるという。日本海から高山裏避難小屋まで、望月将悟なら3日半から4日。一瞬にして目の前を通過していくのだろうけど、その一瞬を見てみたいという気持ち、なんとなく分かる。
南アルプスシリーズ終わり)